♪自分を重ねるのお話
園長: すぎもと かずひさ
深刻な少子化に歯止めがかからない。国家的課題であるにもかかわらず子育て家庭や一部の関係者を除いては危機感も低く、未来永劫に平和が続くかのような有体だ。巷で騒がれている年金どころではない。未来の子どもたちに、人的、金銭的、物理的に途方もない重荷を背負わせることになるのに、と寂しくなる。『子どもは国の宝、年金少なくなってもいいから、もっと子どもに予算を回してやろう』と子どもの立場で公言してくれる大人たちがもっと増えないだろうか?
ところで、政府は来年度予算約1兆円の削減を厚生労働省に課している。削減に伴い廃止が提案されている事業のひとつに、少子化対策、児童虐待対策費とともに地方公共団体向け国庫補助負担金中わずか3.7パーセントにしか満たない民間保育園運営費が挙げられている。『次代の子どもたちを健やかに育てる』ことを目的とした次世代育成支援対策推進法の制定冷めやらぬこの時期に、である。 今春、我が宇治市は某週刊誌の調査で子育てしやすい街近畿ナンバーワンの座に輝いた。これは乳児保育・延長保育・一時保育など市の保育施策とそれを実践に結び付けてきた私たちの努力が評価されてのことで、大人の視点での評価に過ぎない。必ずしも子どもの視点からの評価と一致するわけではないのである。
世界に冠たる長寿国の子どもたちが育つにふさわしい土壌を日本は整えたといえるだろうか?わたしは、老人ホーム等の高齢者福祉施設を訪問するたび、子どもの施設と比べて、その敷地面積や施設内容など恵まれた環境にうらやましくなる。お年寄りは『わたしらの子ども時代には何もなかった』とおっしゃるかもしれない。しかし、『昔は何もなかった』のではない。どんなおもちゃよりも優れた野原や川など、生きる力を体験的に学習する自然の遊び場があった。子どもたちをおおらかに包みこむのんびり温かい人情があった。そして、人生や社会を創り育てる志があった。先人の皆さんへの敬意を想いながらも、今の子どもたちだからこそ国家を挙げて整備しなければならないことがまだまだあるのに、と率直に感じるのである。
人的なことは努力しよう。子どもたちがわたしたちを見て人生の喜びを夢見るように楽しげに生きよう。困難にも前向きに立ち向かっていく気概を見せよう。傷つき、打ちのめされたときは互いに思いやる優しさを持とう。自分の子どものことばかりに関心を持つのではなく、なかまのことをも考えるおおらかな心を持とう。一方で政府には『この国は子どもを大切に育てようとしている』と多くの国民が感じられるような、子育ち、子育て支援政策を、と切に願う。目の前の子どもたちの未来に自分を重ねる。
※先日の国会請願署名、カンパのご協力ほんとうにありがとうございました。
大切かつ有効に使わせていただきます。