「ある愛の詩」のお話

「ある愛の詩」のお話

園長: すぎもと かずひさ

 長男は読書を好まない。原因の一端はわたしがつくった。 感動屋のわたしは、本を読んだり映画を見たりして泣くのが好きだ。映画好きのともだちの影響で中学時代には、かなりの羞恥心を開き直りで吹き飛ばし「ある愛の詩」(生育環境の大きく異なる男女が恋に落ち、困難を乗り越えての結婚の後、わずか25歳という若さで彼女が病死するという、ラブストーリーのスタンダード作品。音楽はフランシス・レイ)をそいつと二人男同士で観に行っては、終了後の館内照明の点灯を恨むほど涙したものだ。スポ根ものもいよいよだめで、オリンピックや甲子園の入場行進を見ただけでも胸が詰まる。このままでは、巨人の星やアタックナンバーワンの主題歌を耳にするだけでやられてしまうのではと思うほどだ。まさに理性よりも感情を優先させる代表選手といっていい。 こんなわたしなので、自分の思いが強く、自分の経験した感動を是が非でもと子どもにすすめてしまう。年齢や成長段階への配慮なしに押し付けられるのだから子どもにとって夏休みの読書感想文などはびくびくものだ。宿題期日の焦りがいっそうの暑さを煽る夏の終わりに、読み終えるだけでも困難な「塩狩峠」や「少年H」をここぞとばかりに渡されるのだから。「せめて課題図書にしてくれー!」彼の叫びが今頃になって聞こえる。「すまん!」 思い返せば、わたしも小学生時分は冒険物や推理物を好んで読んだ。あの親しみやすいわくわく感がたまらなかった。真に面白いから読んだのだ。読書における日常的な付き合いもせず、子どもの興味や事情を追いやって、自己の感動体験を強引に押し付けるという行為に愛が足りない。「面白そうなことからはじめよう」「興味の幅を広げよう」「子どもの主体性を尊重しよう」これらの原則を守って、愛情を持って子どもと接し、対話を通じて段階的にすすめていれば、たとえ同じように彼が読書嫌いになっていても後悔は生まれなかったに違いない。 「ある愛の詩」のラストシーンが蘇る。結婚に反対していた彼の父親が彼女の危篤を聞きつけ病院にやってくる。しかし間に合わず死の報告を受ける。「残念だ」と告げる父に彼は応える「愛とは決して後悔しないことです」と。愛の理想を示唆する生前の彼女の言葉であった。

目次