♪「祈り」のお話
園長: すぎもと かずひさ
先日、横浜市立大学名誉教授の伊藤隆二先生からお話を頂戴し、私はいたく感動した。その一部を紹介しよう。
いわゆる勝ち組の両親に育てられた14歳の少年が家庭内暴力をするのであるが、何不自由ない生活をさせていると思い込んでいる両親には、その理由が皆目見当つかない。その少年のカウンセラーであった伊藤先生は、ある日の面接で、ご自分の少年時代の話をされた。「私の中学のころは敗戦直後であって、ものは極度に不足していてひもじい思いをした。だが、あれこれ希望を抱いたものだった。それを両親に話すととても喜んでくれた。そして息子が人生に希望を抱くまでに成長したことを神様のお陰だといって、両手を合わせた。私が語った希望は、夢のような、たわいもないもので実現できないことは、両親はよく知っているはずだが、子どもである私の願いに共感してくれたのだと思う。両手を合わせている両親に私は深く感謝した。」この翌週、少年はつぎのように語るのである。「父親は会社を創設し、成功したことが自慢で’能力さえあればこの世に怖いものはないさ’というのが口癖だった。母親も何不自由のない生活に満足している。しかし、両親には何か大事なものがすっぽり抜け落ちていると思っていた。自分の両親には人間の能力だけを信じ、人間の能力を超えた偉大なるものを信じる心がないことがはっきりした。その証拠に自分は今まで一度も両親が祈っている姿を見たことがない。僕は傲慢で横暴な態度をとりつづけている両親を許せなかった。自分の家にはものはいっぱいあるが、ないものがある、それは祈りだ」と。
なんとも示唆にあふれる話である。