♪「子ども環境の再生」のおはなし
園長:すぎもと かずひさ
「我が国に 150 年ほど前に来日した外国人の記述・分析によれば、日本を「子どもの楽園」と表現している。当時、我が国の街も田舎もいたるところの道が子どもで溢れていたと伝えており、子どもに寛容で、慈愛に満ちた大人の存在を記している。 このような子どもの楽しい遊びの風景とそれを育む大人の存在を、現在の我が国は失ってしまっていると言わざるを得ない。 現在の我が国の子どもの状況をもたらしたものの要因として、都市そのものが子どもを育む機能を失い、また大人も地域も子どもを温かく育む眼差しを失っていることが大きい。遊び場や幼稚園、保育園の設立も、多くの場合、周辺の地域から子どもの声がうるさいと建設の反対を受けるなどの苦情が寄せられる。子どもの生活を許容しない現代社会の問題がある。明治期、地域の小学校は小高い丘の村や街を見下ろす日当たりの良い、その地域で最も良い場所を与えられた。それは次の世代を担う子どもに対する大人の思いがあったからである。現在、幼稚園・保育園は、地域では迷惑施設と位置付けられ、民間開発地では子どものための公園は最も販売が難しい場所に造られる傾向にある。住宅地の中庭も、子どもが遊ぶと「荒れて資産価値が下がる」と、子どもの遊びを禁止していることも多い。大人中心の思考が多くの子どもの問題を生んでいる。・・・」
これは、日本学術会議「子どもを元気にする環境づくり戦略・政策検討委員会」の対外報告書における一文である。平和を目指していたはずの第二次大戦以降も急激な復興の影で子どもの成育環境は大きく侵食されて行った。もちろん、国の屋台骨を支えるための経済的復興は不可欠であり、その功績は賞賛・感謝に値するものには違いない。しかし、どのようなことにも功罪がある。その罪の部分が子どもたちの成育に影を落とし、今日の危機的状況を引き起こしたのである。近年になって、子どもたちは、さらに大人社会の強大な圧力にさらされ続け、この危機的状況が、ますます強まっていくことが予想されている。
子どもたちが失ったものは、日本の将来にとって重要な意味を持っていた。すなわち、すべての人間にとって最も大切なものと言っても過言ではない。子どもの活動は、生来、感動と好奇心と身体活動の連鎖に彩られている。その瞳が色褪せず、輝き続けることを願い、応援しつづけていきたい。今も、子供の眼前に世の中は広がっている。