「 わんぱく復活 」のおはなし
園長: すぎもと かずひさ
「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい!」 父親が我が息子の成長への願いを込めて発した、懐かしきテレビコマーシャルのコピーである。日本の子どもたちの元気のなさが国家的課題となっている現代、わんぱくな子どもたちの復活は、わたしたち大人に課せられた重要な役割となった。わんぱくとは子どもの子どもらしい仕業のことである。辞書をひくと、「子どもがいたずらでいうことをきかないこと。活発に動き回ったり、わるさをしたりすること。」とあり、子どもの特性そのものであることを裏付ける。
河合隼雄は著書の中で『・・・現代日本の親が子どもの教育に熱心なのはいいが、何とかして「よい子」をつくろうとし、そのためには「悪の排除」をすればよいと単純に考える誤りを犯している人が多すぎる。そのような子育ての犠牲者とも呼びたい子どもたちに、われわれ臨床心理士はよく会っている。・・・』と述べている。わんぱく復活には、まず大人自身が人間にとって必要なことを再認識し、子どもたちが真に子ども時代に育まなければならないことがらについて理解する必要がある。例えば、いたずらやけんかのすばらしさについてである。いたずらがどんなに子どもの創造力の成長に貢献しているか、けんかがどんなに子どもの社会的発達に貢献しているか、それは何故、子ども時代でなければならないかを理解すると、少々の怪我やそれらについての報告が保育園や学校からないことなど、ごく自然なこととしておおらかにうけとめることができるであろう。かつての大人には、そのような思慮深さ、懐の深さがあった。
確かに、わんぱくには危険が伴い、ときに大人に不安を抱かせることもあるであろう。それ故に、子ども同士のわんぱくのし合いの中で得るものの価値を大人が理解しないと、それらの心配に耐え切れず、すぐに口出ししてしまうことになりかねない。無理解な大人たちが増えると、おおらかな人的環境を創ることなど夢のまた夢となる。
子どもの子どもらしい、いたずらやけんかの向こうに人間のたくましさがある。わんぱく復活を提唱する理由である。