「元気なこころとからだ」のおはなし
園長: すぎもと かずひさ
日本少年研究所が行った「高校生の未来意識に関する調査」(2002年)によると、「自分はダメな人間だと思うことがある」という問いに、「よく当てはまる」「まあまあ当てはまる」と答えた子どもの割合は、米国で48%、中国が37%に対して、日本は73%であり、日本の子どもたちがいかに自己肯定感・自尊感情が育っていないかがわかる。これに対応する改善策のひとつとして、第19期日本学術会議「子どものこころを考える―我が国の健全な発展のために:子どものこころ特別委員会」は「大人は子どもとのコミュニケーションを充実させる必要があり、特に聞き上手で、褒めることを心がける必要がある」という提言を行っている。
また、昨今、テレビ番組でも度々取り上げられている運動面について眼を転じると、「幼稚園における運動指導の頻度と運動能力の関係」(杉原 隆:運動発達を阻害する運動指導、幼児の教育)という調査・報告がある。報告書によると「最も運動能力が高かったのはまったく運動指導をしていない園で、運動指導頻度の高い園ほど運動能力が低い。幼児期の運動発達には一斉指導によるスポーツや体力づくり型の運動だけではなく、子どもの興味関心に基づいた自発的な遊びのかたちでの運動が重要である」という内容である。具体的な運動指導のあり方が少なからず影響しているとは思うが、安易に運動指導を看板に掲げる園がもてはやされたり、指導さえ受けていれば運動能力が身につくと単純に考えている大人が増加したりしている現状においては、実に興味深い。
子どもはこころとからだが一体となって活動し、成長を遂げて行く。見た目の能力ばかりを求められすぎると、親が愛しているのは自分という存在ではなく、能力を有している自分であることに気づき、こころしぼむこともある。しぼんだこころでからだが動くはずもない。そんな我が子を見て、子育ての自信をなくす親もあるであろう。能力の喪失=愛の喪失、能力の獲得=愛の獲得という価値観は、子どもだけでなく親自身をも苦しめるというわけである。そしてこの図式が子ども集団(いじめ)や社会に波及したとき、相互に自尊感情を奪っていく風土ができる。
自分や他者の「できなさ、たよりなさ、こわさ」などを受容し合い、認め合う者に、おおらかでやさしく、しなやかでたくましいこころが、からだが、芽吹く。