「人生の楽しさ、素晴らしさから感謝の創造へ」のおはなし
園長: すぎもと かずひさ
新たな時代の幕開けである。ある候補者の演説で、「政治からいちばん遠い人たちへ光をあてるのが自分たちの務めである。子どもたちは選挙権を持たないからこそ代弁者にならなければならない」との言葉を耳にした。これは、「保育者は子どもの代弁者でなければならない。子どもは自分の考えを人に伝えるだけの言葉を持たないし、親でさえ子どもの代弁者とは限らない。子どもの雰囲気や表情、行動から子どもの気持ちをいかに感受し、愛情と誠意を持って関わっていくかが保育者にとって最も重要な資質である」という保育の原理に等しいものである。
子どもたちは好奇心に満ちて、まわりの環境や世界と出会う。この驚嘆と喜びは、何気ない、役に立たないことにさえ価値を見出す子どもならではの感動体験である。子どもたちは人生の最初に、「人間の幸せの原点がお金でないこと、お金がなくても幸せを味わえる」という、一生自分を支えるかもしれない価値に出会う。ところが、現代では大人がこの価値を理解しないままに、社会を生き抜くという名目のもと、功利主義・損得勘定優先のライフスタイルへの適応を子どもたちに急がせるケースが増えている。行き過ぎた功利主義が格差社会を構成しているにもかかわらず、である。
このことについて、岡本夏木は『幼児期の諸性質こそが、人間が生きるための本来的基礎なのであって、その上に立ってこそ、大人社会の諸性質は、はじめて人間性充実のための力として機能してきます。・・・幼児期を、現代の社会文化に対する一つの「対抗文化」として、とらえる視点を提起したいと思います。・・・「真の幼児期」は、社会を常に人間的に批判し、自己を人間存在たらしめてゆく視座として、私たちの中に働き続けてくれるはずです。・・・幼児期を内在させたおとなが、幼児を単に政治的、教育的対象として扱うだけでなく、ともに一つの時代を手を組んで生きている協同者として交わるところから出発することが、いまほど求められることはありません。』と述べている。
子ども本来の自由奔放な好奇心に満ちた活動を生き抜いた子どもは、さまざまな感動を味わい、やがて、自分に感動を与えてくれる源泉として、まわりの人や環境に感謝し、それらを愛さずにはいられない人間へと成長することであろう。「人生の楽しさ、素晴らしさから感謝の創造へ」、子どもの真の理解者として、子どもたちにそのような保育を提供しつづけたい、新たな時代の幕開けである。