『 電車の思い出 』
園長: すぎもと かずひさ
「あのな~ きのう でんしゃ のってん!」頭、両手、全身を揺らしながら言霊が飛んでくる。
「へえーっ!」相槌にも気持ちがこもる。「ほんでな~ ジュース飲んでん!」「ええな~」「めっちゃ おいしかった~!」
ほとばしるテンポと語調に彼の鮮烈な体験がうかがえる。日曜日にお父さんと電車に乗ったこと。その道中でジュースを飲んだこと。おとなからすればささやかとも思えるような休みの日の出来事が、4歳の子どもにとってはこんなにも大きな体験であった。一所懸命に話す力漲る可愛らしい口の虜になったわたしはガタ~ンゴト~ン♪ガタ~ンゴト~ン♪とお礼を含めて口ずさむ。途端に彼は子ども道を走る電車になった。わたしのTシャツの裾は汽笛、お腹はアクセル、引っ張られては音が鳴るなり~、くすぐられては楽しくなるなり~、ありがとう~!ぽっぽ~!!である。
何気なく遊んでいるように映る子どものごっこあそびは、このように誰かの鮮烈な体験がきっかけとなって始められることが少なくない。ところが、おとなの応答次第でせっかくの喜びが落胆や悲しみに変わることもある。彼の喜びの体験はわたしにとっての喜びであり、それを証明する応答こそがふさわしい。相槌ひとつにも魂を宿らせたいという願いがある。
もとはといえば「どこにでもあるようなできごと」である。しかし、一人の子どもの個人的な体験としてみたとき、どれほど貴重な体験であったことか。子どもにとって身近な生活は宝である。華々しい未来よりも生き生きと生きる今に華が咲く。このことをじっくりと丁寧に保育内容のなかで昇華しようとしたとき、子どもが体験的に知っている、または、体験的に知ることができる内容を吟味し、保育のテーマとして取り上げることが自然なことであろう。
明らかに満足気な彼がトコトコ園庭をかけていく。あちこちの木から蝉の声が聞こえる。ともだちが竹製の虫網とグラスロッド製の釣竿の持ち手のある第1竿体がつないである欲張りなやつを手にしている。彼も急いで取りに行く。栽培用のプラスチック支柱と虫網が連結されていてこれもなかなかな仕様である。電車の意識は今はない。それでも新たなあそびの元気を支えている。
形を変えて「子ども電鉄」が動き出す。「過去」と「現在」と「未来」、「自分」と「仲間」をつないで走る。電車の思い出が際立って見える。