『芸術の秋、子どもの秋』
園長: すぎもと かずひさ
朝の鍵開け。あそびの生成と人間の形成がどんなふうに動いているのかという期待でわくわくする。
乳児室に入る。段ボールや広告紙、折り紙に花紙、新聞紙、ビニール、ヨーグルトカップに牛乳パックが大活躍である。しわやへたり、さまざまな素材へのなぐり描き等々の一つひとつが昨日まで子どもたちが触ってあそんだ証である。一方、真新しい素材は、保育士等の思い、情熱、情動によって昨夕以降に加えられたものである。子どもたちの未来がさらに面白くなるように願い、関わり合う場面を具体的に思い描きながら用意する。かれらの成長もまたうれしい。手づくりのおもちゃ、人形、キッチン、素材コーナーたちは、そんな保育士等の魂を宿らせて子どもたちを待ちわびている。
3歳以上児になるとものの組み合わせ、あそびこんできた作品と新たに加えられた素材との交わりがさらに面白い。遊びこまれたへたり感が美しいウェーブを生み出している段ボールがいくつもの小さな部屋の壁になっている。保育士等は子どもたちがいま楽しんでいるあそびについて反芻しつつ、それぞれの小部屋に運動、ごっこ、お絵かき、制作等の環境を用意している。
四つ這いになる。子どもの視界になると同時に幼児期が蘇る。自らがつくった家に入るだけでもうれしい子どもの気持ち、甘酸っぱい記憶である。壁に描かれている絵や貼られている作品群がうれしい。自分たちが手型・足型で塗りたくった部屋であそび、あそんではまた飾ってゆくのだ。高価な保育教材では味わうことのできない躍動の軌跡と現在の躍動が偕話する子ども風情に満ちた空間スタイルが保育の日常のなかで生成されてゆく。
あそびは単純な楽しさだけを提供しない。望む未来を実現するにはさまざまな課題を超越するための技術、知識、さまざまな人の協力等々がつきものである。あそびの生成とともに過去の自分を超越する自己が形成されてゆく。自分が、今、この現実に深く関与している充実感は日常の芸術家として生きる人間にとって意味あるライフ・スタイルのひとつではなかろうか・・・。
芸術の秋、子どもの秋の到来である。
※これらのようすについては、みむろど、Hana花、みんなのきの3園のフェイスブックで一部紹介しています。多くの方にご覧いただき感謝しています。