『子楽の秋』のお話

 『子楽の秋』のお話

園長: すぎもと かずひさ

秋の道、子どもらの靴がなる。

花や落ち葉や虫などなど、発見のたびに立ち止まる。

「しゃがんでな、よっこらしょっと」

可愛いお尻を突き出し、全身でバランスを取りながら地面に見つけた宝物を凝視する。

低年齢の子どもたちにとってはしゃがむという動作は大仕事。

ところが、好奇心に満ちて、こころも元気、身体も元気、笑顔いっぱい、感動いっぱい、一体どれだけのことを吸収し、学んでいるのか、そばにいるこちらがワクワクするほどの顔つきである。

興味のままに、気ままに歩く。

転んだり虫に刺されたりといったアクシデントでもない限り、子どもは乱れたり崩れたり機嫌を損ねたりしない。

季節はずれのタンポポに「わぁ~」、いろんな絵柄のマンホールに「きゃあ~」、歩みのたびにさまざまな世界と出会い、全身でそれらの恵みを享受している。

このような体験を通して

『喜びは人に与えられるものではなく、自ら掴み取るものである』

ことを体験的に学び、やがて

『自らの人生を自らが主役となって生き生きと生きる』

人間性や人格が形成されていく。

大人の勝手で抱っこなどするのはもったいないと感じるのはこんなときだ。

近年、子ども自身に能力があるにもかかわらず、その実力を発揮するどころか、年齢とともにすぼませていくといった感の子どもさんにたびたび出会う。

潜在力はあるのだが、大人にかまわれ、自ら行動する機会を失い、大人との人間関係においてすっかり依存的関係になっているケースがほとんどである。

このような場合、

「3歳にもなっているのだからみんなと同じように・・・」

といった集団適応を第一義に目指すのではなく、一人一人の子どものペースに合わせてひたすら自発的な活動を待つことを優先するのが三室戸・Hana花・みんなのき共通の保育方針である。

「好奇心に満ち、喜びに満ちた行動」

さえ芽生えてくれば、自然、能動的かつ持続的に健全な循環が生まれ、習慣が育まれていくからである。

さて、ある年の秋のこと。

3歳児の担任の表情がやけに明るい。何かしゃべりたそうに口の周りをもぞもぞさせている。

尋ねると、春にはまったくといっていいほど歩けなかった子どもが大吉山の頂上までの往復2.2km標高約130mの道のりをはじめて完歩し、うれしくてしょうがないとのことであった。

保育室で、廊下で、園庭で、約半年の間、その子の気持ちとじっくりつきあい、ようやくたどり着いた喜びの道のりであった。

彼は保育園というささやかな環境の中で自ら楽しみ動く子どもになった。

「行楽の秋」車での遠出もいいが、子どもは、今、ここにいる。

自ら動く喜びを子どもたちへ。

「子楽の秋」。

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