『 鏡餅に初日の出 』のお話

『 鏡餅に初日の出 』のお話

理事長 すぎもと かずひさ

幸せな日々の生活を支える「営なむ活動」と「愉しむ活動」がある。「営なむ活動」は食事の段取りや実際に料理を行う等の衣食住を中心とした生活を行うために必要な眼に見える実力を指す。一方、「愉しむ活動」は、「遊びの目的は遊び」というように自らの欲求を満たすための日常有用性から離れた「愉しむ活動」と、厳しさやしんどさ等がつきまとう「営なむ活動」の中にさえ(であるからこそ)喜びを見出し、転じて「愉しむ活動」となるものがある。つまり、その時々の気分や心情、心の持ちように「愉しむ活動」は委ねられている。

さて、餅つきである。田植えに始まる数々のプロセスは本来「営なむ活動」である。ところが子どもは一つ一つの活動を「愉しむ活動」として、多くの学びを得てきた。なぜか。それは、意味やプロセスを知らないままに大人の都合によって「させられる」受け身の体験でなく、好奇心旺盛な子ども時代に「能動的な学び手=主体的に自らの人生に責任を持ち生きる人」として、体験を重ねてきたからに他ならない。加えて、時間・空間・目的を共にする仲間と保育者の存在があった。稲の病気や害虫と向き合うたびに、「丁寧な見守りと世話を怠った自らの行動が原因となる」ことを知る経験は悲しくも厳しい。

また、「害虫と手前勝手に呼んでいるカメムシたちも人間と同じように食料を必要として生きていること」を知る経験も然り、複雑な心情を味わったことであろう。そして、迎えた収穫。やっとの収穫である。歌いだす子がいる。踊りだす子がいる。子ども心、遊び心が喜怒哀楽に揺れた分、喜びに湧く。自らに由って湧き起こる感情を素直に表現・体現する心と身体。ここには赤ちゃんや低年齢の頃から「愉しむ活動」を積み重ねてきた経験が生きている。喜びが伝染してみんなで歌い踊る。適応はねらうものではなく、自ずから共鳴・協調したくなる心を育むこと、そのようなシチュエーションを子どもと共にマネージメントすることと教えられる。

個性的創造性を大切にした本ものの情操教育とはこういうことを言うのであろうと嬉しくなる。生活の根本に広大なステージがある。人びとが幾千年をかけて耕してきた大地に芽を出し、根をはる一人一人の命。その天賦の才を生き生きと全うし得る保育をと決意を新たにする。

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