『 遊び守のバンブリン 』のお話 

『 遊び守のバンブリン 』のお話 

理事長 すぎもと かずひさ

遊ぶ人間、ホモルーデンス。遊びは生命のエネルギー。自らに由って動きまわる人間の神髄である。人やものやことをワイワイ結び、新たな世界と仲間と自分とをつくり編み出していく。どんなに素晴らしい発明もどんなに優れた文明、偉大な文化も遊びから始まり、生まれる。

ところが近年、そんなにも大切な遊びであるにもかかわらず、その価値が見失われ、時には悪者扱い。遊び心はすっかり肩身の狭い思いをしているという。

「あかん!このままやったら子どもたちが・・・、人間が・・・、どんどんちっちゃくなっちゃうやん!!」

「そうや!バンブリンを呼ぼう、バンブリーン!!」

「遊び守のバンブリン」は、こうして子ども=人間の危機的状況の救世主として現れた。「バンブリン」の「バンブー」は、もとは竹で作られた「案山子」であったことに由来する。「リン」は「鈴」である。遊び心が踊りだすと鈴のように可愛い音をコロコロ響かせながら、遊びの守り神よろしく世界中を跳び回る。そんな姿からいつしか「バンブリン」と呼ばれるようになった。

さて、子どもたちである。遊びの天才たちは春から夏、そして、初秋にかけて土・水・泥・光・色・植物・昆虫といった自然の仲間たちとの遊びを謳歌してきた。花や野菜が芽を出し実をつけるたびに大きくなった。萎れたり枯れたりするたびに深い心情を味わってきた。無邪気に遊び、ユーモラスに遊び、心地よく遊び、真剣に遊び、無意識に遊び、意味も枠も超えて遊び心を育んでいく。竹は根っこがつながっている。子ども時代の体験の根っこに仲間の笑顔がある。

竹馬・竹太鼓・竹御輿、遊びの祭りの運動会。その輪の中に一人一人の「わたし」が居る。「わたし竹」である。竹は清々しくもぐんぐん伸びる。そのしなやかな生命力ゆえに、古くから多くの道具や建築の素材として重宝され、人間の生活を支え、彩ってきた。そして、親竹になったとき自らの成長を止め、次の生命の根にすべての栄養を回すというのも何とも感動的なことではないか。

バンブリンに憧れて遊び心を収穫する。身体の丈を伸ばす。心の丈を膨らます。思いの丈を飛ばす。おもろいさんが遊びの道中で「おもろ遺産」をつくる。愉しいさんが「愉し遺産」をつくり、やがて「子ども遺産」が世界中に広がっていく夢。老若男女、みんなの心が遊び心でつながり人生を照らす。これが「遊び守のバンブリン」のひ・み・つ。

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