『 地道の保育道 』のお話 

『 地道の保育道 』のお話 

 理事長 すぎもと かずひさ

段ボール神殿の窓に日が差して、まあるい日向をつくっている。触りたくて手を伸ばす、が、つかめない。不思議そうに眺める手にもう光はない。トンネル状の箱の中に潜っていく。途端の影、穴の向こうに光が見える。ずり這う視界の変化の楽しさよ。寝転んでみる。仰向けになったり横になったり何たるおもしろさ。声がする。眼だ。起き上がって突進~。

一つの箱がつくる世界。ものの存在とそこに関わる私の存在と。関わりによって世界は変化し続ける。段ボールの窓に握りしめた玉を突っ込む。手の先と玉が消える箱の向こう。手を放す。玉の実感の失くなる心許なさ。手を抜く。はたして玉はない。急いで穴を覗き込む。さっきの玉が転がっている。安堵に似た喜び。段ボールの壁の後ろに回って玉を取る。拾っては、また、窓に玉を入れる。

こんなことの繰り返しから、光、影、段ボール箱、窓=穴、玉というものとの出会いと、それらへの関わり、行動によって現れ、広がりゆく世界のおもしろさを味わい、ものの特性と自分の行動により生起する現象との関係を学び、さらなる遊びに活用してゆく子どもたちである。

能動的に遊ぶ、はじめの一歩はこんなふうであった。子どもの遊ぶところ軌跡ができる。遊びの軌跡は無数の表現を編み出してゆく。その集まりの一瞬一瞬に共の感動、一喜一憂、試行錯誤がある。子どもたちはそんな遊びの物語を通じて一人一人の行動の意味とその存在をかけがえのないものとして確証し合ってゆく。

月日は流れ、先日の「童心のつどい」では、まさに、一人一人の子どもが主役であった。否、仲間が一体となって主役であった。誰一人欠けても実現し得ない世界観を子どもたちは披露してくれた。あの衣装の、台詞の、一挙一動の個性的創造力・表現力の素晴らしさ。人目に臆することなく、自己の価値に基づいて表現する自信に満ちていた。そのプロセスを支えたのはどのような表現をも上手下手という偏狭的、批判的なまなざしではなく、誰もが、一人一人の表現を生きる証として至上の敬意を持って大切にしてきたからに他ならない。

栽培、発酵食品、合奏、手づくりの保育環境。一つ一つのことは難しいことではないかもしれない。されど、どれ一つとっても一朝一夕にできるものはない。地道の保育道である。

「みんなのき」ならではの保育と子ども発信のプロジェクトが最高のハーモニーを奏でている。子どもたち、そして、保護者、関係者のみなさんに万感の謝意を伝えたい。

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