「養護と教育の一体的展開・2歳児の靴の巻」のお話
理事長 すぎもと かずひさ
2歳児クラスの女の子が地面にへたり込んでいる。左のつま先を申し訳程度、靴に入れて動かない。この年齢、発達過程の子どもにとって「自分で靴を履く」に必要な技量とその未熟さゆえの労力は相当である。さらには、足の甲を挿入するほどに引きずられるようにベロが中へ折れ曲がったり、足の裏に付着した砂や小石が底や側面で忍者のまきびしのようにごろごろしたりなど、不快感が意欲を削ぐこともしばしばである。彼女にしてもすでにそのような事情で出ばなをくじかれているのかもしれない。「自分で靴を履き切る」という憧れの未来像へ到達するにはこのような葛藤をいくつも乗り越えなければならない。
「達成感を子どもへ」。揺れる思いで固まっている彼女へ思いやりをかける。眼の前でやおら靴を履き始める私。「う、うん、む、難しいなぁ」、足の挿入がままならない私の様子に彼女の視線が釘付けになる。「甲高、幅広で泣かされてきた経験よ、今活かされん!」とばかりに演じる。「ほう!うんしょ!」、ようやくつま先が入る。身を乗り出すように私を見つめる彼女。自らを重ねているのだ。
いよいよ仕上げ。かかとの挿入である。靴ベラ代わりの人差し指の出番だ。隙間が狭くてなかなか入らない。体重をかけると、かかとの位置が沈んで靴の後ろを踏みつけますます隙間がなくなる。何という難しさ。「ひぃひぃ」言いながら懸命に人差し指をこじる私。気が付くと彼女も可愛い人差し指を靴のかかとに入れ、第一関節が直角になるほど力を込めて引っ張り始めているではないか。
よーし、競争だ。おさなごころに火をつける。彼女より少し早くに片方を履き終え、「やったぁ!自分で履けたぁ!」と小躍りして見せる。そんな私を尻目にウサギとカメの童話さながらに、もう片方に取り掛かる彼女。さっきまでの葛藤は、砂や小石などの不快感はいずこへ。速い。私が「あっ!うん!」と苦労している間、まさに、あっ!という間に履き終えたかと思うと私のことなど眼中にないといった風情で後方のスロープへ走り去っていった。
「憧れの自分像」を獲得した喜びを元気に走る彼女。乳幼児の教育・保育のキーワードに「養護と教育の一体的展開」がある。「子どもの心持ち、情緒への配慮=養護」をしつつ、「子どものやりたい(欲求)や成りたい(願い)を実現してゆく=教育」の方法を指す。彼女の陽気な「靴が鳴る」。