『童心を育む人間の日向(ひなた)』のお話
理事長 すぎもと かずひさ
子どもがしょんぼりしている。微笑みかける。おおらかに心と体を開き、悲しみや寂しさ等の負の感情ごと、「きみを受け止めたい」という意思を表す。思いが伝わったとき子どもは心を許し、「泣き」や「甘え」を分けてくれる。嬉しい。「甘えていいんだよ」、「楽にしてね」、「抱っこさせてくれてありがとう」等と、「あなた」と「わたし」が分かち合う喜びと互いの存在への感謝を込めて関わっていく。
子どもの表情や心身の状況、一挙一動の機微に応じようと試行錯誤を繰り返す。眼の前の子どもに、かつての「わたし」がいる。幼い頃の心細くも頼りない気持ち。甘えや駄々を受け容れてもらった嬉しさ。包まれるような感覚、溶けるように癒されていった心持ちと安心感。記憶が蘇る度に眼前の子どもと幼い日の「わたし」が重なり、共感の糸口となって、例えば「撫でる」という行為の一つにさえ、自然に魂が込められていく。
このような触れ合いを通じて、子どもは安心感の根を張っていく。人間信頼の根である。正も負の感情も受け容れられるので恐れがない。のびのびと自己を発揮し始める。行きたいところへ行こうとするとき、欲しいものを手に入れようとするとき、友達と関わろうとするとき等、日々世界を広げながら生きる日常は、挑戦に溢れている。ゆえに、失敗は成長や挑戦の証であり、称賛に資すると理解する身近な人の存在が大切なのだ。子どもは、そのような人との心の触れ合いを通じて、意欲、向上心、平常心、学びに向かう力等の人間性の土台を育くんでいくからである。
子どもの心は元気になったり、意気消沈したりしながら育まれていく。正と負の間にある様々な感情を体験しては思いやりの芽を育くんでいく。当初は同様の体験をした者同士が、支える側になったり支えられる側になったり、役割を代えて助け合っていく。「受け容れてもらった経験」が互いに生かされ、自分のことのように人の気持ちが分かる人間へと成長していく。こうした感情交流がやがて友情や親愛の情になり、自分が体験していない他者の体験をも、自分のこととして人間形成に取り入れるようになっていく。
子どもの心は、「子ども」に関わり、数々の「場」を共につくり、「生」を分かち合って生きる人々や仲間との豊かなやりとりや関わりによって耕されていく。生き生きとした眼力を宿らせて、発声したり、話し出したりする尊さ。子どもが自らの「主体」を前向きに働かせ始めるところ、童心を育む人間の日向がある。