「生きているものどうしの想像力」のお話

「生きているものどうしの想像力」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

なにができるというよりも、なにになりたいというよりも、さらに大切なことがある。全身を開放しての深呼吸。身体の中心から指先の隅々まで大気に身を任せた瞬間の世界との一体感。大地を踏みしめ、鳥のさえずりに胸打たれながら、木々のざわめきに、川のせせらぎに生命を重ねていく感動。その間にぽつりぽつりと生命をいただいているわたしたち。人間が中心ではない。生かされている。奇跡の実感にもったいなさが滲んでくる。この感覚、それを学ぶ乳幼児期でもある。

今年度からかかわらせてもらえることになった「Life(生活、人生、生命)を深める保育実践理論の探究」。幸せに生きるとはどういうことか。保育の目的に真正面からアプローチするテーマである。

泣いている子どもがいる。幼い頃からの自分を重ねていく。自分がしてもらったこと、身近な友達がしてもらったいくつものかかわりの中から、「よさそうなもの」を寄せ集めて、抱っこしたり、よしよししたり、歌い掛けたりしていく。「よさそうなもの」には空や花、鳥や蝶などの自然物がなんと多く登場することだろう。思いやりの風景が分母にあって、子どもの「活き活き」が花開いていく。

子どもが歩き始める。「おっ!ヨチヨチ感がいいね、体の揺れが最高です!」などと、子どもの存在そのものを愛でる。褒めるのではない。眼の瞬きも、泡の口も、てかてかのほっぺも、素晴らしいと、ありのままの子どもの存在を可愛がる。このような生命のふれあい、溶けあいが受容・共感のいとぐちであり、子どもの世界の入り口である。子どもの目線から世界を眺める、耳を澄ます、匂いを嗅ぐ。互いの気配が心地よい。抱きつかれては「わぁ~」、もたれかかられては「うんうん」。信頼してくれてありがとう、と、ついには喜びが全身に広がって、子どもの呼吸も、鼓動も、唾をのむ音も音楽になる。音楽になって歌い、腿を叩き、そんな私を見て笑うこどもたちと一緒に踊りはじめる。さあ、人間界から自然界へ出発だ。

光合成をするように陽の光を浴びて野原を駆け回るこどもたちは、森の木になり花になる。発酵するようにさまざまな仲間と触れ合い、各々の気づきや発見を語り合い、知恵を出し合うこどもたちは、自分達の藍の蒅(すくも)づくりや味噌づくりの体験から、生命の不思議と奥深い味わいを知る。この共通感覚が人生の根っこを支える「生きているものどうしの想像力」になるに違いない。人間の思いやりと生きているものすべてへの愛情を持ったこどもたちの想像力である。