『 子どもたちの冒険 』のお話

『 子どもたちの冒険 』のお話

理事長 すぎもと かずひさ

人類はおおよそ一万年前から定住生活を始めた。それ以前は、後の一万年よりもはるかに長い年月を遊動生活者として過ごしていた。その過程が現在の人類の心身の進化につながっている。定住により、「ごみ」や「トイレ」、「食料」などの種々の課題に向き合うのであるが、それでも遊動生活時代よりはるかに多くの「暇=時間」を持て余す。結果、人間の優れた能力を発揮する場として、また大脳に適当な負荷をもたらす場面を求めて、工芸技術、政治経済システム、宗教体験、芸能などを発展させてきた。人間は自らのあり余る心理能力を吸収するさまざまな装置や場面を自らの手で作り上げてきた。退屈を回避する場面を用意することは、定住生活を維持する重要な条件であるとともに、それはまた、その後の人類史の異質な展開をもたらす原動力として働いてきたのである。いわゆる「文明」の発生である(以上、國分功一郎著:暇と退屈の倫理学より)。

新人類の出現を20万年前とすると現在の私たちが当たり前に「衣食住」を生活の根本に考えていることや基本的生活習慣の獲得と称して子どもにトイレでの排泄を促していることなども人類の歴史から俯瞰すると甚だ感慨深い。

主題は時間の過ごし方である。人類の歴史を重ねるように眼の前の子どもたちを観る。一人一人の姿に目を凝らす。日当たりと友情を溶かせるように山の上で戯れている。頭の向きも手足の数もよくわからないほどにくんずほぐれつ絡み合っている。あまりの自由な動きと姿勢、人の出入りがもたらす流動的かつ複雑な形態に吹き出さずにはいられない。パスカルが人間はじっとして生きられないといったのは本当だ。誰の股の間から飛び出すかもわからない頭、思いもよらないところから伸びる手。なぜそこから虫を取る、ほんまか、もっと楽な姿勢あるやん。根拠不要の心身の柔らかさに舌を巻く。大人の視点を寄せ付けない動機と行動の速さは見事としか言いようがない。

何という探索、何という熱中、経済の論理も政治的思惑もなく人間の喜びだけが息づいている。この人との付き合い方、世界との交わり方に一生かかっても味わいつくせない「宇宙・地球・自然・生物・人」を探る秘密と充実の人生の秘訣、偉大なるなにものかへの道があるに違いない。

原点に一緒に居るだけで心地いい、一緒にみるだけで面白い、一緒に聞くだけで素敵という世界との一体感、共通感覚がある。風の歌が、草木花の言葉が、虫の踊りが、擬人的表現を超える世界との出会い方を知っている子どもたちの冒険のはじまり~。