『 ぴゅしす と なんじゃ の かくれんぼう 』のお話

『 ぴゅしす と なんじゃ の かくれんぼう 』のお話

理事長 すぎもと かずひさ

「みんなのき」の運動会は、年々のテーマをもとにした創作童話のプロセス体験である。子どもと大人が一緒に遊び継いでは遊びを寄せ集めてつくる。終わりを決めていないので運動会当日も物語の途中であったり、行き当たりばったりの旅のようなワクワク感と誰もが興味を持った時にどこからでも参画できる自由がある。

保育者は最初に主人公とそのキャラクターを簡単に紹介する。それを発火点に子どもたちがどんどん想像を膨らませ、遊びのそこかしこにちりばめてゆく。子どもたちはテーマの主人公に出会い、自分自身に投影してゆくのだが、テーマや主人公はそもそもが子どもたちの姿からイメージした愛称のようなものであるから、特に演じる必要はないのであるが、それでも言霊とはよく言ったもので、テーマや主人公をキーワードに示すことで、子どもは存外な意味や価値を日々の生活世界へもたらしてゆく。それが、実に深く、面白いのだ。

昨年の「ぷしゅけはん」では、呼吸、息づかいをより敏感に受けとめ、注目する子どもたちであった。人間の枠を越え、虫や植物に優しく接する姿は感涙を誘った。そして、今年の主人公「ぴゅしす」と「なんじゃ」が登場する。まずは「ぴゅしす」の由来について参考文献を引いて紹介しよう。

『自然を表す英語「ネイチャー (nature)」はラテン語の「ナートゥーラ (natura)」を語源としており、さらにこの語はギリシア語の 「ピュシス (physis)」の訳語にほかならない。今日の「物理学 (physics)」はそこから派生した語である。「ピュシス」は自然界の森羅万象を包括的に表す言葉であるが、もともと「生み出す」を意味する「ピュオマイ」という動詞に由来しており、そこから「生み出されたありのままの姿」、あるいは「生長」や「生成」を意味する語として用いられ 、やがて生長や生成の結果として事物がもつ「本性」や「性質」を意味するようになった(伊藤俊太郎 自然1999)。』

「地球人」として「生」の歓びを謳歌すること。子どもは、地球の大切なものを承知しているかのごとく光に土に水に植物に生物に惹かれてゆく。夏になると乳児クラスの子どもたちに大きな木綿の布をプレゼントする。子どもの時によくやった木の板や硬貨などの上に紙を置き、模様を擦り出したように、産着から親しんできた木綿の布の上に乗ったり、転がったり、めくったり、包まったり、潜ったり、思い思いにかかわり、自らの生命を擦り込むように遊んでゆく。人間という自然、「ピュシスのフロッタージュ」が乳児クラス運動会のシンボルになる。子どもの宇宙である。