『 人や環境を愛する保育の探求と循環 』のお話

『 人や環境を愛する保育の探求と循環 』のお話

理事長 すぎもと かずひさ

子どもたちの生活は愉しい。人間生来の愉しさに充ちている。寝返りやハイハイする歓び、ヨチヨチ歩きの視界や身体感覚そのものの面白さなど、子どもは何かをすること、かかわること自体を期待に変えてゆく。

年末の大掃除もそうであった。子どもは道具が大好きである。小さいときからお家の人や保育者のようすを、指をくわえて眺めてきた彼らにとって、箒も塵取りも雑巾も園庭のスコップにも増して特別な存在であり、手伝いは「大人への懸け橋プログラム」なのだ。

箒や柄のついたモップでごみを集める。柄をコントロールする遠隔操作のちょっと困難な動作も大きくなりたい憧れ欲求を充足してゆく。ごみを見つけて微笑み合う仲間同士の満足げな表情と通底感。汚れや美化への気づきと発見の喜びを分かち合っているのだ。ほこりをたくさん集めるほどに誇りを宿してゆく子どもたちである。

廊下での雑巾がけの「がけ」は「かけっこ」の意味だ。「各馬一斉にスタート?」って思うくらいのスピードで疾走してゆく。お尻を高く突き上げた四つん這い姿勢の後方から追いかけるように檄を飛ばす仲間は、今か今かと出走を待っている。

窓ガラス拭きでは新聞紙を使う。偶然、人物写真の広告誌面を見つけた一人がポスターさながらに室内側から外側に顔が見えるよう貼りつけた。途端に外側から顔のあたりを擦る仲間が現れる。顔を洗っているようだ。笑いが起こる。水分があるとガラスに新聞紙が貼りつくという学びの記憶と笑いの記憶が重層的に浸透してゆく。

体験はまだまだつづく。畳の隙間や窓の桟などの細かいところは、割りばしに布を巻いて輪ゴムで固定した専用の道具をつくって掃除する。道具をつくるプロセスもまた愉しい。大掃除という取り組みを構成する一つ一つの活動や行為を一人一人がそれぞれの場面や状況に応じて動的なもの・こととして「いまここ」で味わい愉しんでいる。目的性や効率性よりも、良き思い出づくりを優先することにより、時間に追われることのない時間ちょうどの活動や出来不出来による人間関係の軋轢のない居心地の良い場が保たれるからである。

良き思い出の地層は豊かな感情・情操の記憶の層をつくる。子どもたちが人間生来の愉しさに充ちた活動を持続し、良き思い出の記憶を存分に働かせながら、さまざまなアイデアとともに豊かな感情・情操をつくり出してゆけるよう、生きる喜びから生きがい、生かされている感謝から人や環境を愛する保育の探求と循環を新年の誓いとしたい。