『 ファンタジーの贈り物 』のお話

『 ファンタジーの贈り物 』のお話

理事長 すぎもと かずひさ

「自然との関わりから、ファンタジーも生まれるのです。自然の向こうにはさらに自然を超えたものが存在していて、それを我々は異界と言いあらわしているのですが、その異界との関係をも含めて、自然との関係を保持すべきだと私は考えています。その自然を超えたもののことを超越者ととらえれば、それは神ということになり、宗教ということになり、それも大事ですが異界との関係はそれだけではない。例えばファンタジーがそうです。人間のイメージの豊かさが自然との関係の中で培われて、それで人間が人間らしくなっていく。私は人間が上等で動物や植物が下等だなどとは全く思いません。ファンタジーの世界が素晴らしいのはそこで、動物とも植物とも、それこそ山や川ともお話ができる。そういうファンタジーは古今東西いっぱいありますし、本当は子どもたちはそういうファンタジーに浸るのはお手のもののはずなのです。(山中康裕著:「いのちの科学を語る 子どものこころと自然/東方出版/2006/p.153」)」

「お米はいつ大きくなってるんやろ」。大きくなる瞬間は見たことがないけれど確実に成長している稲穂を眼の前に生命の不思議を問いにする子どもたち。すると、「見つからんように夜に大きくなってるんちゃう?」、「水やりや雑草抜きやいろいろお世話しているから神様が大きくしてくれてはるんちゃう?」などの答えがつぎつぎ飛び出してくる。子どもたちの空想やアイデアはファンタジーに彩られ、ついには「神様」の存在を現実にする。そのくらいに生命は不思議なのだ。

風に揺れる稲の葉に会話がはじまる。「お米ちゃんは葉っぱを揺らして教えてくれる」。「お水欲しいよ」、「暑い」、「雀がいるよ」、「虫がいるよ」などなど、稲と気持ちを重ねるように世話がつづいていく。案山子をつくる。案山子の名前は園によって異なる。「きんぐたかし」は鳥を怖がらせようとゴリラをイメージしてつくられた。「ぐるとくまなん」は「グルグルの恐い目」をして、熊のように真っ黒の身体だ。それぞれの園の子どもたちが、その子どもたちならではの稲とのふれあいを通してイメージを働かせ、考え、工夫を凝らしていく姿は、脳の理解を越えて、全身で感受し、行為しゆくものどうしのつながりを見事なまでに表現している。

さらに驚いたことが起こった。当初は、食べられては収穫ができないとさまざまな策を講じていた子どもたちが、「雀おいで!おいで作戦!!」と題して実った米を分かち合うようになったのだ。雀を安心させようと稲穂に化ける。雀が「うおー!やったぜー!と喜んでいる」と雀語を話す子どもたち。こころの流れが美しい。