微生物を羽織って美味しいLife 』のお話

『 微生物を羽織って美味しいLife 』のお話 

理事長 すぎもと かずひさ

子どもの森には様々な「かたち」が蠢いている。面白さを生み出しそうな「かたち」がそこかしこに溢れ、出会いとかかわりのそれぞれに物心同時の流動的な変化を加味させながら、つぎつぎとたのしい「動的なかたち」が「はじめまして」とおとずれる。

たとえば「声のかたち」。園庭では久々の晴天に誘われて怪鳥と思しき子どもの快調な鳴き声がわんさか飛び交っている。声帯の調子が余程いいのだろう。声域、声量の限界域を味わい、愉しみ尽くすように思い思いのリズムで延々とやってくる。叫ぶ顔の表情の「かたち」と全身の「かたち」を見事に連動させて園舎中の空気を震わせている。自然、まわりで遊んでいる友だちの走りながらの発声も普段よりも随分ピッチの高い「きゃっきゃっ音」だ。甲高いハーモニーがこだまする。「声のかたち」が「たのしいかたち」になって場の空気をどんどんごきげん色へと醸していく。

4月の園だよりでは、「ぬか床園の新たな始まり」と題して、「子ども=人間」と「人間の生命をもたらしている多様な生命体及び地球のいのち」を大切にすることを新たな保育理念として謳った。そのこころは、〈日常的な幸せから恒久平和を展望・創造する人間〉への成長を願い、共に進み、創りゆく生き方を実践する宣言でもあった。

アメリカの哲学者 リチャード・ローティは「私たちの連帯の感覚が最も強くなるのは、連帯がその人たちに向けて表明される人びとが「われわれの一員」と考えられるときである。-中略-しかし、その連帯は、あらゆる人間存在のうちにある自己の核心、人間の本質を承認することではない。むしろ、連帯とは、伝統的な差異(種族、宗教、人種、習慣、その他の違い)を、苦痛や辱めという点での類似性と比較するならばさほど重要ではないとしだいに考えてゆく能力、私たちとはかなり違った人びとを「われわれ」の範囲のなかに包含されるものと考えてゆく能力である。(偶然性・アイロニー・連帯 p.399,401 2000年10月岩波書店)」と述べており、学ぶべき点が多い。

童心の合唱が私のなかに響きわたっている。子どもたちは「自己」というジグソーパズルのピースをさまざまな状況や状態に応じて柔軟に変化させながら、「よろこびのかたち」「平和のかたち」を少しずつ仲間と共に創造してきた。困っている友だち、泣いている仲間への「思いやり=共感の想像力」は、藍、味噌などの見えない生命とのふれあいにまで拡張させている。この素晴らしい「ぬか床=生命の土壌」がいつまでも発酵しつづけますように。もし、腐敗しそうになったら園へ遊びに、逢いに来てね。

アルカリ・バクテリウムを羽織って美味しいLife(生活・人生・生命)へ出発や~!!