『弾みゆく五月の空』のお話

『弾みゆく五月の空』のお話                        

理事長 すぎもと かずひさ

朝、園の玄関でリュックを背負ったまま涙する3歳児さん。わたしは微笑みながら彼女の視線にとまるようにゆっくり大きく手を振った。気づく彼女。その一瞥が嬉しくて、コミカル気分を溶かせもう一度手を振った。顔のこわばりがちょっと緩んだかな。涙も目尻でこらえている。ひびきあう関係のはじまりにこころをまぜるように手を振りつづける。いつしか「ひびく」関係から「まざる」関係が「わきだし」ていく。小さな可愛い手を振り返す彼女。おさなごころに安心の灯が点り、喜びが「わきだす」瞬間。すっかり嬉しくなって、「〇〇ちゃん、可愛いね!」と語り、歩み寄っては頭を撫でる。にっこり微笑み返す彼女の向こう、希望の未来が開かれていく。

こんな風景をいくつも乗り越えての五月。ふと気がつくと燕の滑空に「こどもの日」を想う。みんなのこいのぼりは笑っているかな。一人一人の子どもを見る人の、寄り添う人の気持ちが子どもたちの元気や勇気になること。子どもが自分たちのこいのぼりを空に泳がせようと懸命に知恵を絞ってつくりゆくように、どの子どもも安心と信頼を宿し、「こころのこいのぼり」が生き生きと泳ぎゆく五月の空を、晴れ晴れとした子ども時代の空をつくりゆきたいと想うのである。

新鮮な風、子どもの遊びの空は即興の感動に満ちている。無邪気という言葉が示すように「邪」のない素直な感性や感覚が子どもの純粋なこころのはたらきの神髄である。この思考と行動の驚くべき一体感は「失敗」という概念をもたない子どもならではの天才であり、そのプロセス自体が生きている根拠としての喜び、すなわち「生き生きと生きること」を含意している。循環的な生の歓びは持続的に創造的想像力を発揮しつつ、生きゆく過程のそこかしこでさらなる自己充実感をわきだしていく。

子どもはもとより多彩な創造者である。つぎからつぎへと仲間や世界へ興味や関心、好奇心をひびかせ、かかわるほどにまざりあい、大人の想像を超えて、わきだしていく。どんなふうになるか分からない面白さ、素敵な体験への期待と予感の共通語である「ワクワク」や「ドキドキ」。「やりたい」気持ちは生命エネルギーに満ちた意欲の塊だ。「自己充実感」はときに「自己肯定感」を超えて生きる喜びを深めていく。子どもとモノと世界が繰り出す思ってもみない出来事やごちゃまぜの混沌を「最高!!」と喜ぶ寄り添い人も「最高!!」である。さあ、弾みゆく五月の空へ跳びだそう。

目次