「ねねね の めーちゃん と ゆく、わきだす世界の旅」のお話
理事長 すぎもと かずひさ
静かに、でも確かに、沁み出すものがあります。目に見えなくても、耳をすませば聴こえてきます。鼻をくんくんすると、ほのかな匂い。肌にふれる空気が、くすぐったかったり、心地よかったり、さまざまな風になってやってきます。
「ふつふつふつふつ・・・。」気がつくと世界のあちこちで「発酵の歌」。であいとふれあいを積み重ね、いのちと、いのちのあいだにうまれくる協奏=共創曲が鳴っています。
ひびきあい、まざりあい、やがて、わきだしてくる、なにか。
──ふわふわ、ころころ、ゆらゆら、くるくる……どこからともなく現れくるのは「ねねね の めーちゃん」。めーちゃんは、「ね」と「め」をまとう発酵の精。根っこみたいに静かに沁み込み、こころころころ音になり、共鳴するようにひびきあい、価値がじんわり沁みる「ね」を運びます。
そして、遊びの“目”──「遊び目」、出会いと結びの“芽”──「結び芽」、うまれる霊の“目”──「産霊目(むすひのめ)」をつれて、子どもたちのなかに、小さな「め」をふくらませていきます。めーちゃんは、「赤ちゃんのころのみんな」を知っています。
感覚がある喜び。感覚する喜び。感覚になる喜び。
身体がある喜び。身体する喜び。身体になる喜び。
精神がある喜び。精神する喜び。精神になる喜び。
現象がある喜び。現象する喜び。現象になる喜び。
そしてその重なりのなかで、
他者へとある喜び。他者へとする喜び。他者へとなる喜び。
世界へとある喜び。世界へとする喜び。世界へとなる喜び。
そのすべてを、あなたのからだとこころの奥に、「ふわ~り、ふつふつ」と発酵させているのです。
教育カリキュラムからLife(生活・人生・生命)の共育カリキュラムへ。誰かに描かれるカリキュラムを超えて、さまざまな関係から編まれては世界に沁み出るように湧き出してくるいのち。発酵は、誰かが計画して進めるのではなく、一人一人の関係やさまざまな「霊(モノ)」や「コト」との関係のなかで自ずから生まれ出づる霊(モノ)たちがわきだす総和的生の世界の物語です。
めーちゃんは、今日もみんなのき園のどこかにひっそりしのびこみ、子どもと先生のこころの奥でぷくぷくとふくらみながら、世界を編みなおしています。 「ねねね の めーちゃん」は、これから始まる物語の、ひとつの胞子にすぎません。ところが、その胞子がひらいた「いのちの時間」には、もうすでに、いくつもの“ね”と“め”がわきだしているに違いありません。ほら、運動会も、祝祭の歌です。