「つくることはいのち循環」のお話
理事長 すぎもと かずひさ
何とも言えない顔つきでこっちを見ている。子どもの絵だ。渦巻くように大きく見開いた眼、叫ぶように開いた口。ユニーク過ぎて吹き出してしまう。ギザギザの歯が怖い。あの耳の大きさはどうだ。羽にしてどこかへ飛んでいこうというのか。気を失っているのか眼球がない等々、兎にも角にも一筆一筆に子どもの気持ちがこもっている。どんな心情で描いたのか、想像するだけで楽しい。子どもが楽しんで面白がって描く。これが肝心、保育者の腕の見せ所である。
運動会で子どもはお店屋さんに扮した。何を売るのか、各クラスで話し合いを重ねてきた。そして、みんなで決めたお店屋さん。お店屋さんになった自分自身を描いた。プロセスを重ねるごとにモチベーションを高めていく子ども達。
絵画活動では絵の具はそのまま使わない。保育者は活動のねらいやテーマに応じて色の混ぜ合わせ方や濃さ等を吟味し、園長や主幹に提案する。アイディアは、草木染や色水遊び、ボディペインティング等々、子ども達と共に歩んできた遊びや活動に由来する。こうして用意された絵の具や染料と子どもが出合う。心情が絵に現れる。そんな作品の数々が3歳以上児クラスの運動会シンボルであった。
この保育ストーリーを音楽に展開すると歌になる。「まさか作曲するとは思わなかった」、大役を担った一年目の保育者の言葉である。作曲経験のない保育者に無理を承知で依頼する。その心は「無から有を生み出すことこそ生きている証であること」、「作り手の苦労とそれを超える喜びを体験的に理解すること」である。
鼻歌のように作ればいいよ、という。ピアノやギターで作ろうとすると楽器がよほど達者でないかぎり、自分の技量の枠にはまって自由を奪われるからだ。聴いたことのあるような歌でいいよ、という。ポールマッカートニーの言うように完全なオリジナルなどないからだ。それよりも、子どもの日々の活動から言葉をもらい、運動会遊びの保育物語から言葉を共に生み出すことが素晴らしいのである。まさにこの子ども達、この保育の仲間が存在するからこその創作活動に最高の価値を置きつづけてきた30余年がある。
変なメロディがある。平成生まれやのにどこまで昭和なメロディやねん、と笑い転げることがある。それでも愛しい作品たちである。子どもの絵が笑いながら語り掛けてくる。つくることはいのち循環、一人一人の存在そのものやで、と。