『子どもの歌』のお話
理事長 すぎもと かずひさ
「藍の歌」と「米の歌」。子どもたちがつくった。民謡さながらに園生活の根から子どもたちが自然に口ずさんだ鼻歌である。言葉とフレーズを同時に発しながら、「ああしよう」、「こうしよう」と子どもたちがそれぞれの思いつきを言葉や節、振り付け等々の形に表しているうちに歌になった。
藍ちゃんの歌・・・作詞・曲 三室戸・Hana花保育園ゆりぐみ(年長児)
あいちゃん あいちゃん あおくなる あいちゃん あいちゃん あおくなる
ゆりさんのそだてたあいちゃんは こんなに大きくなりました~・・・略
お米の歌・・・作詞・曲 みんなのき保育園ゆりぐみ(年長児)
おこめおおきくなれ おこめげんきでいて 鳥さん来ないで カメムシ来ないで
溶かした肥料を入れたら お酢しゅっしゅっしたら 病気がストップ~・・・略
自らの体験と願い、感動を歌うこれらの歌は保育者が意図して生まれたのではない。それにもかかわらず方針を等しくする二つの園で同じように起こった。ポイントは次の二点であろう。
①
保育の単元として「栽培活動⇔栽培の成果物を生活に取り入れる活動」のプロセスを丁寧に味わいながら充実を図ったこと。このことにより、生活で得た感動や願いがそのまま言葉となり、詞になった。節がついて短いフレーズになった。
②
日常生活の中で繰り広げられる子どもの一挙一動を見守り、尊いと感じた活動(この場合は、子どもの鼻歌)を保育活動として、丁寧に取り上げたこと。このことにより、短いフレーズをつなげ歌として完成するに至った。
このように、ひらめきやアイデア、発想は生活風土に左右される。一つ一つのものの成り立ちやプロセスを体験的に学ぶ生活が土台にあるからこそのひらめき、発想があり、それを直ちに実行できる環境があること。さらに、鼻歌を歌い、つくりたくなるムードがあること。子どもの自由を愛し、尊重せずにはいられない保育者、自らも自由を愛し、遊び心を持って創造し続けずにはいられない人たちによって醸し出される。
生きる証のごとく生活環境をつくってゆく子どもと大人がいる。かけがえのない唯一無二の作品群に囲まれ、触発されて、また、つくる。その小さな作曲者・アーティストたちがいよいよ小学校へ旅立ってゆく。上手下手を超えて自らつくる喜び、個性的創造力のかけがえのない喜びはどこまで心の奥底に刻まれたことであろう。忘れずにいて欲しいと切に願う。
「うたつくってくれてありがとう!」と子どもたちが寄ってくる。「みんなが元気で面白いからできたんやんで」、と私。「どうやってつくったん?」と質問が追いかけてくる。
「うん?みんなと同じやで~」。答を聞いてにこっとしながら翔けてゆく「子どもの歌」。