『 おとなの出番やで!稚拙美家の一族!!』のお話
総園長 すぎもと かずひさ
「拙くてもいい!いっしょにつくろう!!」おとなへの呼びかけである。「稚拙美」とは一見稚拙に見える表現の中に息づく、純粋かつ素朴な美しさをいう。あどけない笑顔のような美しさである。おとなは「子の笑顔」に夢と使命を与えられ、自己を超える。いつまでもありつづけて欲しいと願う。
保育園はそんな子どもたちの作品でいっぱいだ。一人一人の子どもの生活体験や心情がうれしい。拙くてもこの子が描き、つくったのだ。いのちと変わらぬ尊さと愛しさに笑い、感涙する日々。これ以上の価値はないとさえ思う。
ところで、この日常を保つには秘訣がある。それは、つくり表現することを「生活≧あそび」の真ん中に据え、常態化することである。子どもにとってあそびは呼吸と同じ。息をするように創造しつづけること。呼吸に上手下手がないように、3歳未満児のあそびに評価は存在しない。傷つく心配も傷つけられる心配もない。ものごころが付いたときにはつくることが自然な毎日である。1歳児さんがたどたどしいながらもテープをちぎる、ちぎろうとする。段ボールをつなぐ、つなごうとする。つないだ段ボール越しにともだちとにらめっこのように顔を見合ったり、段ボールの下へ潜って屋根にしたりする。テープは皺になり、つなぎ目は歪んでいる。貼り損ねが実に可愛らしく、美しい。
3歳以上児。誰もが構えなくつくる、気楽である。「家をつくろう、町をつくろう」、目的が明確になってくる。達成・実現に向かうエネルギーが大きい。「失敗やぁ」と笑いながら、もうつくり始めている、ばねにしかならない。精巧さに勝るイメージがある。つくったものを何にでも見立てる自由がある。自由はおおらかさを生み、自然な協同から仲間をつくる。新入園の子もいずれ解けている。「家」や「町」、何をテーマにしても広がり放題につくる。どんな参画も受け入れる。椅子だけ、線路だけ、色塗りだけ、関わったところがうれしい。アイデンティティが芽生える。誰もが生かされている実感を共にする。この感覚が人権意識を育んでゆく。
「拙さこそがその子、その人ならではの個性を光らせる美しき味わい」という「稚拙美家」の家訓のもとに、日曜大工、裁縫、料理、書道、茶道、絵画、ダンス、合唱等々を無邪気に楽しもう。さらに、情報通信技術、紙漉き等の知識や技能は喉から手が出るほど有難い。おとなの出番やで。