「音声の散歩」 のお話

「音声の散歩」 のお話

園長: すぎもと かずひさ

 「イェー」の意味は「イェー」である。
言語的な意味は持たないが雰囲気を盛り上げるときやうれしいときによく使われる。
音楽ライブの会場で「イェー」とやると「イェー」とこだまが広がり「イェー」なわたしから「イェー」なわたしたちになる。大勢の仲間たちとの共鳴が楽しい。
言語的な意味は持たないけれど、「イェー」という短い音声にその場の雰囲気をつくる力が漲っている。
 
子どもたちは「あーっあっ!」と欲求を伝える。
「わー!」と驚きを伝える。「ば~ぶ~ば~ぶ~」とご機嫌な様子を伝える。
それに呼応するように「何ゆうてんのん、おしゃべりしてるのん。あんあんゆうてんのん。
ば~ぶ~ば~ぶ~やなぁ。」と保育士。
「あいやいやいやい・・・」調子を合わせて子どもの声に重ねると、沖縄民謡の合いの手よろしく踊り出したい気分になってくる。
喃語は万国共通、雰囲気は良好だ。
 
話は変わるが、ある日のこと、音楽あそびを担当している先生が「なぜだか理由は分からないのですが、モーツァルトを弾くと子どもたちがみんな笑うんです」とおっしゃっていた。
最初は誰かの笑いが瞬間的に連鎖して、みんなの笑いになったのかもしれないが、後日、何度弾いても笑いだしては踊り出すというのである。
子どもたちの笑いの風景につながったモーツァルトの空踊るメロディーとリズムと間は、子どもたちにとって有意な言葉と同等、もしくはそれ以上に魅力的なことがわかる。
コミュニケーションにおける抑揚やテンポ、音の強弱など、さまざまな音楽・音声表現がいかに大切か、時代を越えて教えられる。
 
さて、日頃わたしたちは、有意な言葉を中心に会話し、生活を送っている。
それらの言葉は、共通理解や共通認識を促し、目的を達成したり、さまざまな分野の発展に大きく寄与していることはいうまでもない。
一方で、意味を持たない発声や音声たちは、意味を持たないがゆえに、その効果について意識されることなく、あまりにも脚光を浴びてこなかった気がするのである。
 
子どもたちは、わたしたちおとなに比べて語彙が少ない。
それでも、ワイワイ楽しそうである。子どもたちの輪に入り、わたしも何を目的にするのでもなく音声を出してみる。
「ワーイ、ワーイ、エッペレベー」。
みんなが笑う。
雰囲気の共感が心地よい。
音声の散歩のようである。

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