「地力いっぱいになあれ」のお話
園長: すぎもと かずひさ
地力の尊さをつくづく実感する出来事があった。つくづく感じるままに想像は地面へ入り込み、どんどん土の中をめぐってゆく。
土中に存在する無数の物質たち。その中でいのちを湛える一粒の種と人生を重ねる。
種は置かれたさまざまな環境と呼応しながら、やがて自分のいのちを全うしようと根を伸ばす。
伸びゆく先は果てしない。何が起こるかわからない未知の世界である。
栄養となり糧となる物質との出会いもあれば、大きな石や害を及ぼす得体のしれない物質など行く手を阻む出会いもある。
幾度も幾度も衝突を繰り返し、しばしば自分の思いと異なる方へ曲がらざるを得ない状況に直面する。
こうして、新たな試練や生命の危機と向き合いながら、また、根は伸びてゆく。
人生においても乳幼児期からさまざまな困難や挫折と出会う場面・局面がある。
幼子たちは理屈ではなく体験的に世界を広げてゆく。
出会うともだちや人びとのひとりひとりが異なる個性と生活背景を持っている。
共に過ごせば互いの欲求がぶつかり合い、たちまちもののとりあいっこやけんかが起こる。
これは、ごく自然なことである。加減のわからぬままにけんかを繰り返すうち「いい加減」を学んでゆく。
ところで、さっきまでけんかをしていたこども同士がなにごともなかったかのように力を合わせることがある。
全くの無関心を装っていたこどもが誰かの困難に優しく関わる場面に出会うことがある。
そのようなとき、人間の基礎を育む幼児期ならではの素晴らしさをつくづく実感するとともに、あらためて地力について思うのである。
人間の地力とは、生まれて間もない乳幼児期から育まれるものであり、個人力のことを指すのではないことがわかる。
一人の人間が歩んできたあらゆる経験と人間関係を土台とした総合的な人間力であることに気づかされるのである。
互いの存在を尊重し、認め合うしなやかな人間性はたくましさと安心を宿らせる。
思い通りにならないことや異質なものとの出会いは得てして存外な力を育ててくれる。
その道中のひとつひとつに得難い学びと感慨がある。
体験に基づく確かな歩みゆえに、振り返った後にできる道は尊い。
その道のことを地道というのかもしれない。
地道を歩いているうちに地力が育つ。
地力は人間の土台を成すたくましさであり、掛け値なしの力である。
困難があってなお、伸びるところに地力が育つ。一期一会や森羅万象を味方にする種でありたい。
感謝の土の中、地力いっぱいになあれ。