「感謝がつながる初日の出」のおはなし
園長: すぎもと かずひさ
餅をつくには米がいる。ぺったんぺったんぺったんこ…。初夏、いつも安全で美味しいお米を作っていただいている西山さんから分けたもらった苗を植え、さんりん舎で育ててきた。ところが、年長児ゆりぐみさんが収穫したお米だけでは、全然、足りない。そこでみんなで考えた。餅つくお米はどうしましょう?保育士は教えない。どうしたら手に入れることができるかな?恒例の質問タイムのはじまりはじまり~。
保育士:「もち米ってどうやったら保育園にやって来ると思う?」
スズメに見せたいくらいの可愛い口をした賢い顔がならんでいる。
こども:「スーパー(本当は固有名詞やったけど…)で買う!」「田んぼー!」「お米屋さんで買う!」
一斉に可愛い口がピーチク、パーチク、やっぱりスズメだけにお米探すの上手いわ~。
保育士:「そう言えば、毎日保育園のご飯のお米を、お米屋さんがトラックに乗せて持ってきてくれているのを見たなぁ。」
こども:「そうや~!」「そうや~!」「見たことある~!!」
ほんまかいな?と、こだま・ひびきの声が出そうになる。
こんなやり取りを重ねて一段と賢くなったこどもたちは、お米屋さんに手紙を書いた。みんなで文章を考えた。ときどき文字が左右逆さまになったりしたけれど、いつもの感謝も忘れずに書いた。文字で表現しきれない思いは絵で描いた。いっぱい描いた。「人生で大切な尊いこと」をこどもたちが教えてくれる感動の瞬間である。
この餅つきという活動が、心の教育を伴う素晴らしい国語教育であり、美術教育であることを。餅つきの伝統行事たる所以は、さまざまな生活体験をともにしたり労苦を分かち合ったりしてきた人と人とが力を合わせ、生活の糧をつくり、神仏に感謝を捧げるという自然の流れにある。感動一瞬の悟りである。
9日後の餅つき前日、お米は届けられた。お米屋さんのおじさんも喜んで、こどもたちからの手紙をお店の方全員で読んだという。お米を持った。ずっしり重たい。期待も重い。新年の鏡開き、卒園前の味噌パーティーまで餅は活躍し、みんなの胃袋を想い出いっぱいにするのだから…。
「いつも丹波西山のお米を食べていただいてありがとうございます。・・・長谷川米穀店さんからは、園長先生をはじめ、園の食に対する意識の高さについて、いろいろお話をお聞きしております。本当に僕ら農家も、さらに気持ちを込めて、農産物をつくれる思いです。・・・」感謝と感謝が手をつなぐ。感謝がつながる初日の出のうえに、こどもらの笑顔。