「泣き顔が好き」のおはなし

「泣き顔が好き」のおはなし

園長: すぎもと かずひさ

 先日、卒園男児の結婚式・披露宴に招かれ、光栄にもスピーチの機会をいただいた。彼のお父さんには本園のカメラマンとして大層お世話になっていた。ところが、まだまだお付き合い願いたいと思っていた矢先、突然の病に倒れられ若くして天に召されたのであった。現在、彼は父の遺志を継ぎ、カメラマンとして頑張っている。私には、祝宴に際し、彼をはじめご参列のみなさんにお父さんのスピリッツを伝える天命が与えられていた。
 それは、ポートレートをライフワークとされていたお父さんが被写体となる人々、殊に子どもたち、とのコミュニケーションをどれだけ大切にされていたかという点についてである。 私は本園がお世話になるきっかけとなった一冊の卒業アルバムとの出会いを忘れることができない。子どもたち一人一人の表情がどれも素晴らしく感動せずにはいられなかった。シャッターを切る瞬間に至るまで、否、以降も、日常的に、子どもたちとカメラマンとの間で上質なコミュニケーションが交わされたに違いないようすが写真に表れていた。技術には人間性が反映されることの証であった。これは保育をはじめ、どんな仕事や活動にも通底する真実ではないか。  ある会話でのこと、そのことを裏付ける金言をいただいた。「先生、僕は子どもの泣き顔が大好きなんですよ。なんともいえず愛しいじゃないですか」とさりげなく仰った台詞がそれである。世間では一般的に笑顔が良いとされているのに、変わったことを、と思っていたが、それだけに心に残り、是非とも真意を確かめたい一心で自分なりに咀嚼してみた。今では、それが確信に変わり、わがこころの財産となっている、その内容を結婚スピーチに添えた。  「子どもが泣いているとき、それは何かにぶつかっていることを意味します。悲しいことや辛いこと、思い通りにならないことや寂しいこといろんなことがあるでしょう。でも、子どもたちは健気にそれらの事実と対峙しています。その超現実的な存在のなかには絶望や懇願等々、さまざまな葛藤があることでしょう、真剣です、命がけです。しかし、やがて笑顔に変わる。その壁を乗り越えていくプロセスは、まさに人間の成長過程であり、希望への道なのです。そんな子どもの姿を、お父さんは、応援せずにはいられなかった。愛しく思った。感動されていた。これからの人生・・・」
 

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