子どもたちの感性のお話
園長: すぎもと かずひさ
子どもたちの感性は日常生活における身近な人々とのふれあいによって磨かれていく。「自分の目の前の現象やものごと、見聞きしたことを感じ取る際の心の動き」と「感じ取ったことを行動に移したり表現したりする際の心の動き」が前に出たり、後ろに引っ込んだり、絡み合ったりしながら、息づいている子どもたちの感性。さあ、そんなことを思い描きながらいっしょにお風呂に入るとしよう。 ここに二組の父子がいる。一組目の父親は、子どもの前でシャワーを出しっぱなしにしてからだを洗っている。もうひとりの父親は、お湯を出したり留めたりしながら必要な量だけを使っている。たったこれだけの違いでも、子どもたちに与える影響は少なくない。最初の父親に育てられた子どもは出しっぱなしの湯水を当然のものとして理解するであろうし、もう一方の父親に育てられた子どもは、父をモデルにし、やり取りを積み重ねながら、やがて「水を大切に使う」ことの意味を知ることであろう。お風呂の入り方ひとつをとってみても、なにげない大人の所作から子どもは自然との付き合い方を学んで行く可能性があるというわけである。こんなことであるから、公衆浴場でかかり湯をしたり、自分が使った後の洗面器やイスをきれいに洗い、ならべたりしている大人のようすを見て、子どもたちは、みんなが心地よく過ごすための生き方や次に使う人への思いやりの具体的なありようを学んでいくのである。 さて、二人の父親を比較してみると、子どもの教育とか、豊かな感性などという前に、それぞれのライフスタイルが大きく異なることがよくわかる。ライフスタイルにはその人の理念が反映されるものだ。後述の父親の行動には、「人間は一人で生きているのではなく、生かされている」という自覚から生まれた、自然や他の人々への愛情がある。丁寧で美しい行動には豊かな感性が宿るという所以である。