心のかたちのお話
園長: すぎもと かずひさ
4歳の夏のことである。自宅前の松の木に登ってアブラゼミを捉まえた私は大喜びでガラスコップを逆さにして閉じ込め、縁側に置いた。二匹目の獲物を追いかけては捉まえられずにいた私は、さきほどの獲物を確認し、失敗でくじけそうになった気持ちを慰めるべく縁側を見た。ところがコップにせみの影がない。しまった!逃げられた!とコップに突進したが、やはりいない。落胆の眼でそばに遊んでいた妹をふと眺めると、1歳6ヶ月の無邪気な彼女の口の端に茶色いせみの羽が動いているではないか。どっひゃー、せみは食べられたのか、彼女が食べたのか、とにかく一大事と大あわてで叫んだ。 当時、父が養護施設の指導員として勤務させていただいていたこともあり、私たち家族はその敷地内に住まわせていただいていた。私の大声にかけつけてくれたのは、その施設のお兄さん、お姉さんたちだった。心配する必要のないことを笑顔で教えてもらい、ついでに遊んでもいただいた。人生=保育に必要なことは何か?というテーマについて考えるときにいつも思い起こす私にとってかけがえのない原体験のひとつである。 乳幼児期の原体験は大切である。数値化しやすい勉強のように学習塾などで後からフォローすることができない。私の声に駆けつけてくれたかれらには、「やさしさ」があり「おもいやり」があった。私を慰めたかれらの気持ちは、その後どんなふうに変化したであろう。私の両親との良好な人間関係あればこその行動であったのだろうか。それとは別におさなごや弱者に対する援助は当たり前の時代であったのであろうか。 今、子どもたちの心のかたちはどんなであろう。情緒の安定・対人情緒(対子ども、対おとな)・場面適応、自己発揮力、好奇心、明朗性、優しさ・おもいやりなどはどんなふうに成長しているだろうか。柔らかく、温かく見守っていきたい。