「伝えていきたい感性」のお話
園長: すぎもと かずひさ
先日、ある雑誌にブータン王国のことが紹介されていた。1970年代まで鎖国政策をとっていたアジアの小国が、チベット仏教を国教とし、その崇高な精神性と伝統文化によって現代に生き生きと息づいているようすについてである。文章の末尾近くには、日本が失った自然と人々の心の豊かさについて触れられており、「日本人が戻りたくても戻れない世界である」と記されていた。記述はどうしても部分的になるであろうし、すべてを鵜呑みにするわけではないものの、追究すべき理想の姿を見せつけられたような気がして嘆息とともにページを閉じた。 子どもたちを見る。自分自身を振り返る。この普通さが、この日常が、どれだけ多くの人々の支えや労力によって成り立っているかを感謝しきれない感性の貧しさが日本の暮らしに蔓延しつつある。しかし、「お蔭様」「お互い様」「縁の下の力持ち」などの言葉に象徴されるように今もなお「感謝」は世界に通ずる素晴らしき精神性のひとつであろう。子どもが失敗をする。失敗は目立つ。短所だよとたたかれる。その他の90パーセント以上は良いところ、がんばっているところかもしれないのに見過ごされてしまう。政治の世界でも職場でも学校でも地域でも、何かがあるとここぞとばかりに自分のことを棚にあげて他人をとやかく言う貧困な感性が子育てにおいても顔をのぞかせることがある。精神の緊張と萎縮とストレスが人々の心をむしばみ、関係性の危うさが不安を増幅させる。せめて、短所を指摘した分くらいは、長所も認めてあげないと子どもたちに安心を宿らせることはできない。子どもたちやまわりの人々の安心は自分自身の安心につながっていることへの気づき、まさに「お互い様」なのである。「普通ということはとてもすばらしいことよ。」「平凡であることは感謝に値する。」子どもの頃よく耳にした先達の言葉を子どもたちに伝えていきたい。