「しあわせ遊想力が満ちる新年の幕開け」のお話
理事長 すぎもと かずひさ
ささやかにも思える一挙一動に大きな感動をのせて子どもたちのかけがえのない日常が生成・現象されてゆく。生命の灯りは世界を映し照らす。
こころとからだの双方に、感覚と運動のさまざまに体験を募らせ、醸成しながら、世界と一つになってゆく子どもたち。「わたしは世界であり、世界はわたし」という感性は環境を愛する才能を育みながら、さまざまな出会いを結んでゆく。
子どものかかわりは、即、表現。その子が生きているからこその唯一無二性は、この世に生を受けた存在の証といっていい。だから尊いし、こんなにも愛しいのだ。保育の魅力はこの子どもたちとともにしあわせな未来をひらく、いま・ここの日常にある。
子どもの遊びは創造と探求に満ちている。食べ物とは似ても似つかぬ丸めた新聞紙がごはんになる。絵具や染料を混ぜた色とりどりの水溶液が何種類もの飲み物となって食卓をにぎわしてゆく。他の場所では二人で入った段ボール箱のなかで見つめあっては大笑いの子どもがいる。三人、四人と広がって、いつの間にか段ボール箱を中心に、どこまで大きくなるのか、家らしきものがふくらんでいる。生命を輝かす行為たちが手に手を取ってあつまってくる。「ひびく・まざる・わきだす」プロセスの一つ一つをともに味わう。
共が友になる。「しあわせ遊想力」が何層もの物語を編んでゆく。
6月、お世話になっている米の生産者さんからの悲しい知らせ。例年にない高温と水不足からお米が届けられないという。子どもたちはお見舞いの手紙を書いた。保育者は代わりの米の手配に奔走した。幸いにこの危機を救ってくださる方がおられた。それから数か月たった晩秋のある日、被害にあわれた生産者さんからもち米は大丈夫との知らせが届いた。喜ぶ子どもたち。そのもち米と危機を救ってくださった方から仕入れたもち米を使ってのお餅つき。杵打つ手にも力が入る。自然や生活文化と密着した「しあわせ遊想力」で鏡餅をつくった。
新年、七草がゆにつづいての鏡開き。その日は出世魚の鰤を鰤しゃぶにしていただく。鰤を捌いてくださるのは、料理屋さんを営まれている卒園児の保護者さん、日ごろからお付き合いのある魚屋さん、板前をされているスタッフのお父さん方である。年長さんは、柚子を絞って柚子ぽん酢をつくる。美味しいわけである。この濃密な時間愛、人間愛、環境愛、共生愛がいっぱいの保育の場に「生きとし生けるもの=みんなのき」がめぐっている。「しあわせ遊想力」の気が満ちる新年の幕開け。