「安心と創造が道ゆくこどもの日、いのちの日」のお話
理事長 すぎもと かずひさ
こどもの日は、1948年に「子どもの人格を重んじ、幸福をはかるとともに、母に感謝する」祝日として制定されました。そこから母の日、父の日へと続く五月は、子どものいのちが、母へ、父へ、おばあちゃん、おじいちゃんへと、どこまでもさかのぼっていく月でもあります。いのちは一人で始まるものではなく、数えきれない関係の中から受け継がれ、未来へと手渡されていきます。その循環の尊さを思うと、子どもたちと過ごす毎日が、なお愛しく、ありがたいものに感じられます。
さて、子どもたちは、まわりのすべてのものを、生あるものとして感受しています。虫や花、お人形、握り丸めた泥団子、仲間とつくったロケットやおうち。子どもの手にふれた途端、すべてのものが息づき、語りはじめ、物語をもちます。一つ一つのもの・ことが「生きがいい」のは、子どもの元気のしるし。わたしたちは、その元気を分かち合い、元気の素は何か?どこからわいてくるのか?と問い、学び、いのちの感受性を深めていくのです。
子どもの主体性は、子どもの内から外へめぐっていきます。風に揺れる草花、手の中で形を変える泥、昨日の遊びの名残が散りばめられた園庭、友の声、朝の光、ゆっくり流れる時間。それらもまた子どもを誘い、待ち、応答しながら、場の中で主体性を帯びていきます。子どもが何かを始めるとき、環境も動き出し、時間も深まり、場そのものが呼吸しているかのようです。
泥団子は、ただの泥ではなくなり、手のぬくもりや友や保育者の顔、昨日の記憶を含んだ存在になります。ロケットやおうちは、素材、空間の余白、友のまなざし、流れてきた時間が一緒になって生み出しています。子どもの主体性と、環境の主体性、時間の主体性、場の主体性が、互いに響き合い、まざり合い、融け合っていくところに、遊びのいのちが立ち上がってきます。
3歳児さんが散歩に出かけた駅舎の軒下、コンクリートのトンネルの一隅に燕の巣がありました。出入りする燕の滑空におっかなびっくりの子どもたち。好奇心と恐怖心。その揺らぎのなかで、「わぁー!」「きゃー!!」叫ぶ子ども、気配を隠すように沈黙の子どもが一人二人、それぞれの心の揺らぎのままにそれぞれの仕方でトンネルをくぐっていきます。ところが、一人向こう側に取り残されたAちゃん。その困っている姿が友を呼ぶ瞬間でした。さっきまで通れなかったBちゃんがAちゃんを迎えに行ったのです。
子どもの園には、人格を重んじ、幸福をはかり、いのちのつながりに感謝していく姿が、日々の暮らしの中で生まれています。子どもの手と手、その小さな道ゆきに、安心と創造もまた道ゆいています。毎日が、「こどもの日、いのちの日」の由縁です。