「うずち~(渦知)の語源」のお話
理事長 すぎもと かずひさ
子どもの生きゆくところ、遊びの往来は子どもの自由な振る舞いで賑わっている。みんなのきの保育者たちは子どものそんな姿に何よりもの保育の魅力を感じ、官能=感応しながら日々手づくりの保育環境をつくりつづけているのであるが、その節には「こんなふうに遊んでもらいたい」という保育者のねらいや意図を子どもたちの遊び方や具体的な行為に求めないよう心得ている。
何よりも尊く大切なことは「ありのままの子どもの姿のそのものと一になる」ことであるからに尽きる。例えば、0歳児さんが呼吸や鼓動など生の脈動を土台に這い、ヨチヨチ歩き、触れたものを叩き、音を生み出している姿に出会う。保育室に置かれたペットボトルを見つけては掴みにゆきおもむろに振っては中に入っている液体を揺らしながら視覚と共に音を味わい始めている。内から沸き起こる身体のリズムとペットボトルという環境が、彼が手に取った瞬間に共振・共鳴して原始の音楽さながらの愉しさと喜びの渦を巻き起こし始めているに違いない。
こんなふうに子どもと環境たちが共生成する遊びの渦は勢力・影響力を強弱しながら遊びの場に浸透していく。人間の鼓動のリズムは共通である。生のリズムという共通の土台に、場にちりばめられた保育者が用意した様々な素材が子どもたちの思い思いのかかわりを待っている。環境は人間の潜在力といわれる所以である。同じペットボトルでも大きさのバリエーションや中に入る鈴・ブロックなどの質の違いにより音色や揺れの見え方、色彩、手指から身体を伝ってくる振動の味わいなど、これまたさまざまな体験が生まれくる契機に溢れている。このミクロ的な保育環境への配慮が乳児保育にあって多様な体験の地層となり、やがて子どもが自分自身の思いでねがいのままにつくりたいものを決め、素材をあれこれと組み合わせて工夫したり、試行錯誤を行ったりするときのアイデアやセンスとして蓄積され、手持ちの実力となって立ち現れてくるのである。
言葉遊びも味わい深い。言葉の意味を早くから知るよりも尊いことは、「発声する歓び」や「多様な発音のニュアンスを豊かに味わう体験」、「有意語を超えて音声による楽しさや喜びを分かち合う体験」であったりする。音声の一つ一つを先の遊びの素材として捉えてみる。みんなのきの遊びでは子どもたちの造語がなんと多いことであろう。他の場所では通じないけれど、いっしょに保育を奏でる生の共同者たちにはこれほどに深く通底する言葉はない。遊びの物語が組み込まれた音声の群れが織りなす遊びの渦が息づいている。これを渦知と呼ぶ。「うずち~の語源」である。