『 すべての子どもたちにアートを 』 のお話
理事長 すぎもと かずひさ
子どものときの「いい顔」の写真を持参しての会議の出席要請にお気に入りの一枚を選んだ。30年ほど前に古いアルバムから新たなアルバムへ移し替えたうちの一枚である。昔の写真は見るたびにさまざまな思いを去来させてくれる。
写真の私は1歳5か月、北海道の北見で暮らす母方の祖母が毛糸で編んだ白い帽子、マフラー、マントを纏い、内には昭和の編み機を彷彿するシカのデザインが凝らされたおそらく茶系のカーディガンといういわゆる「よそいき」のいでたちである。この手づくり感に京都から遠く離れた地で暮らす祖母の思いが伝わってくる。仁王立ち風情の私は撮影者ではなくどこか遠くを見つめている。歩き始めて視界の喜び、好奇心のままに「生の歓び」を謳歌するころでもあり、きっと視線の先には「自分なり」の「いいこと、いいもの」があったに違いない。何であったのだろう。
写真をめくると裏には「昭和36年正月」とまごうことなき父の筆跡で、書き姿も匂いも懐かしいインクペンで書かれている。当時29歳、養護施設の指導員を経て、福祉研究者の門をくぐったばかりの彼は論文稿をこのペンでメモなどしながら、この世の人生のあれこれや教育・福祉の現実と展望、我が子、家族を重ねながらどんな日々を送っていたことだろう。ワンショットに思いは尽きない。
先日、「乳幼児の創造性への影響と還元(「個体編」と「集団編」)」という「子どもとアート」をテーマにした研究の報告会がもたれた。「過去の芸術の技術や知識の教授」というかたちでの芸術教育においては、ともすれば音楽や絵画などの素晴らしさにであう前に、子どもたちに苦手意識を抱かせてしまうことがある。一方、芸術を日々の生活で現れてくる日常的なもの、新たに生まれつづける未知な体験として広義に捉えることによって、人間が本来有している「生きること、表現すること、創造することのよろこび」をすべての子どもと保育者に取り戻そうという願いに満ちたものであった。
「手づくりの生活=保育」にはつくり手の思いが宿る。一人でつくりゆくとき、思いは「個体」の感性が凝縮・結集されていくプロセスである。アナログの時代、手紙も手編みのマフラーもアートであった。仲間とつくりゆくとき、思いは「集団」の感性が出会い、響き合い、混ざり合い、未知の世界を創出するプロセスになる。「いい顔」の子どもたちが集まってくる。手に手に素材を持っている。眼に眼に光を放っている。「おはよう」の一息さえうたになる元気の風。