「ソウルフルでマインドフルネスな子どもたち」のお話

「ソウルフルでマインドフルネスな子どもたち」のお話

理事長 すぎもと かずひさ

「乳児から年長さんまで遊びこんでいる子どもたちしかいないですね」。園の視察や見学などでお越しになったみなさん方から頂戴する最高に嬉しい言葉である。「それを感じてもらいたかったんです」と応えつつ、「発達を超えた幸せとは」「成果主義に由らずすべての子どものウェルビーイングを高めていく保育とは」を問いつづけ、探求し、発酵させてきた実践のさまざまに思いを馳せる。子どもの生命と向き合い、歩みをともにしてきた賜物である。それらの実践を共創・協奏してきた保護者さん、スタッフのあの時、この時が思い出されて感慨は絶えない。

「著しい個人差」などと表現される乳幼児期の子どものすがたの千差万別は、「一人一人の子どもの発達」と重なり絡み合うのであるが、肝要なことはときどきの「心身の状態や状況、生活背景」による多様な生のあり方に他ならない。ゆえに実践場面では「子どもの気持ちに寄り添う」などの表現で、眼の前の子どもを覆う「心身の状態や状況、生活背景、遊びの意味性・物語性」を丸ごと受容し、共感していく姿勢が基本となる。一律的な子どもの見方や保育者よがりな一斉的指導が適わない理由である。

大人思考に立脚した保育者中心の保育では、子どもたちとの対話がおろそかになり、子ども心への寄り添いや感性をひびきあわせていく共感関係も、人権感覚の根本を醸成していく共同性が芽吹く余地がない。保育者自らが、子どものすがたや思いとのギャップをつくりつづけていくので、頑張るほど空回りする。子どものウェルビーイングを高めるどころか遠ざかっていく一方である。まずは、一人一人の子どもの自然に眼を瞠り、耳を澄ませ、心を寄せ、優しく混ぜるように溶かせていくこと。その関係性の発達過程に子どもの真実、真の主体(性)、子どもの自然が現れてくる。

子どもと保育者と世界を結ぶ「愛の架け橋」を渡って子どもたちは自ずから然りと自由自在に世界へ羽ばたいていく。遊びはそもそもソウルフルでマインドフルネスな生き往きであることを証明する子どもの姿がいつ・どこ・誰の心にも充溢していく。そんな「こどもまんなかユートピア」を園見学の方々がご覧になり、目頭を熱くされるとき、その実現と探究の道程が保育の永遠の目標であることを確信する。

食育や藍などの生活カリキュラムには「誰もが生命を宿し、維持していく営みであるがゆえの包容力」がある。自由を謳歌し生きがいを創出しつづけていく遊びカリキュラムには「誰もが生命を輝かせていく権利を有し、希望の未来を実現する営みであるがゆえの包容力」がある。すべての子どもがお互い様、お陰様となりあうインクルーシヴな保育のぬか床園のさらなる発酵が面白い。