宇治福祉園について

『 子ども時間と遊びの哲学 』 のお話

2021.2.7

『 子ども時間と遊びの哲学 』 のお話

理事長 すぎもと かずひさ

「えん⤵ちょう~せん⤴せぇ~」と子どもらが呼ぶ。何とも表情豊かな声音に心揺さぶられて「ふぁいふぇいぷーぷー」と音声を重ねるわたし。思わず子どものイントネーションとリズムを模倣した格好だ。意味がない言葉に子どもらが笑う。意味はないけれど面白い要素がある。聞き覚えの無い音声の奇妙な感じ?インスタ映えするわたしの顔の表情?はたまた全身から発せられる雰囲気?何が滑稽なのか定かでないが、笑い転げる。嬉しくなる。

「ふぁいふぇいぷーぷー、ってなんや~」と言いながらもう真似を始めている。「ふぁいふぁいふぇいふぇい、や」と意味不明の説明をさらにするわたしの後から、「わいわいひゃいひゃい」とか「べっべいぺいぺい」などのアレンジをどんどん加えていく。その姿が面白可愛くてわたしも笑う。かけがえのない「子ども時間」が流れていく。即興表現ならではの世界を散歩するように楽しむ一コマがある日常。その大切さを思う。

先日、保育の質について語り合うある場で「古代には古代の、平安時代には平安時代のリズムがあって歌や舞、日常の所作や言葉遣いにまで大きな影響を与えていたことを思うと、現代の日本社会のリズムが子どもに及ぼす影響についてあらためて捉えなおす必要があるよね」との発言があり、大いに共感したのだった。前出の「ふぁいふぇいぷーぷー」も「子ども時間」にふさわしい時間の流れ方、リズムがあっての産物にちがいない。

子どもは行動することで学ぶ。「実生活」の行動に関わることで学ぶ子ども達の「実生活」は、多くの場合、大人に主導権があり、子どもの体験は身近な大人の考えやスタイルに左右されてしまいがちだ。忙しいとき、心を奪われているとき、ついリズムを忘れて行動するわたしがいる。そんなときほど、深呼吸をして「遊び=ゆとり」のこころを取り戻そう、と言い聞かせる。年長児さんが作ってきた子ども神輿が輝いている。子どもの自由な発想が生きる意味、生きてきた価値を表している。「遊び」を流動的に創出し、「仲間」の参画も自由に一人一人の子どものリズムやペースで制作に関わってきた。過去と現在が幾重にも織り重ねられて眼前の現象として現れている。そのヒト・モノ・コトの相互作用の一つ一つが生起する瞬間に「子ども時間」があったにちがいない。遊びを通して生きる意味を哲学する子ども達。遊びは子ども達の勲章そのものである。