宇治福祉園について

『 遊びの坩堝で笑うこどもたち 』のお話

2023.7.31

『 遊びの坩堝で笑うこどもたち 』のお話

 

理事長 すぎもと かずひさ

 

こどもは、生まれながらに行為的直観的であり、創造的想像の達人である。この天からの授かりものともいうべきこどもの本質ならびに諸感覚を共に豊かにしてゆくところに乳幼児教育・保育の本質がある。大切なことはまわりの環境たちの存在、「もの・こと・ひと」とのかかわり合いである。環境たちはただあるのではない。空・風・雨・植物・動物・鉱物などのすべてが、ときに歌い舞いながら生命エネルギーの火となり、こどもの諸感覚にはたらきかけては飛び込んでゆく。

土たちは足跡や手指の跡を映したり握ったり固めたり象ったり掘ったり埋めたりさせてくれる。水たちは流れたり溜まったり溶かせたり染ませたり光ったり、土と結びついては多彩な粘度や硬度を生み出したりもしてくれる。新聞紙や折り紙たちは、ちぎれたり破れたり折れたり切れたり丸めたりくっつけたりさせてくれる。大きな段ボール紙たちは壁になったり屋根になったり洞穴になったり船になったり、壁になって内と外を味わわせてくれたり、へたり丸まり倒れてソファや寝床になったりもしてくれる。土・水・紙たち自身の動きと自然たちのかかわり合いが、色彩や揺らぎを生み、さらにこどもたちの行為や直観が加味されて、つぎつぎに新たな意味や価値、物語を生成してゆく。いま・ここだけで成立するものなど一つもない。「もの」には「もの」の、「こと」には「こと」の、「ひと」には「ひと」の魂や歴史が息づいている。

こどもの城の住人たちは、行為的直観でその世界観がわかる。「偶然拾った石」と「探して見つけた石」との出会いの物語の違い。「偶然拾った石」だけれど、なぜか可愛くて大切にかかわっているうちに、どんどん好きになってゆく体験。風が運んでくれた木の葉との全身での諧話、歌い、踊り。自分の顔や食べ物、動物をモティーフにした造形。環境や素材たちを自由に組み合わせてゆく「創造の種」と行為的直観をはたらかせながら自由に意味付けしてゆく「想像の種」を育みながら、それらを飾り、供え、祝福の行為へと盛り上げてゆく。いたるところで行為と直観と情緒が混ざり合っては発酵し、「もの・こと・ひと」の垣根を越えて無境界に浸透してゆく。

このような生み人だけが知っている喜びや価値を味わいゆくこどもたちは、アニミズムを生きゆく歴史的体験を通して「生きているものどうしの一体感」を無分別知として発酵させてゆく。環境たちの無限の歴史や由来、物語が遊びの坩堝で溶けている。