『生きる歓びを意欲に代えて』のお話
理事長 すぎもと かずひさ
こどもたちが散歩本来の意味を満喫する絶好の季節、子楽の秋だ。空の美しさに深呼吸を重ねては
陽光に透けて煌めく紅葉の色さまざまにこころ躍らせたり、ふと目に留まったどんぐりのあまりの可愛らしさにしゃがみ込んでは這いつくばるように拾ったり、歩くことさえままならないほどの感動から感動へとつづく自然の奥行きと一体感を澄んだこころのままに味わってもらいたい。
もみぢの語源は「揉み出づ」であるという。葉が色を変える驚きを揉んでは色を出し、染料として生かしてきた生活体験に照らし、神々が山の木々を揉んで美しい色を出してくれているとの嘆美から「もみぢ」と呼ぶようになったという。先人は、このような自然との調和的生の歓びを言葉として現代に伝えてくれている。どれほどの月日と幾人の人々がかかわってきたことであろう。そこには、山紫水明、自然と人との主客一元的な自然観が根差している。暮らしとともに移ろう言葉。こどもたちも生活を映した言葉をつくっていく。
もうすぐ、みんなのきの各園では年長さんが「藍建て」を行う。藍の種を蒔き、生長具合に一喜一憂し
ながら共に育ち、葉の収穫・乾燥、生葉染め、沈殿藍づくり、蒅(すくも)づくりを体験しての今日である。蒅を仕込んだ自分たちの藍甕に語りかけ、抱っこや頬ずりをする。そんな暮らしのなかで藍甕の名前が付けられた。語源を辿れば乳児クラスの頃から、こどもたちの幸せを願い、その年のこどもと保育者ならではの多種多様な遊びをつくってきた体験に行きつく。生活の大半が遊びであった乳児期から少しずつ身の回りの生活へ参画してきたこどもたち。
古来の人たちさながらに散歩や園庭で見つけ拾った葉や花でたくさんの色を出し、数々の遊びに生かしてきた。どんぐりとのこどもどうしの関係は、自然とのアタッチメントの入り口である。手のひらでころころしたり、宝箱の住人になったり、装飾や作品の中心的役割を担ったりしてくれた。みんな「もみぢ」がそうであったように自分たちの体験から、その時々の思いや願いを込めて言葉を交わし、暮らしてきたかけがえのない共生者たちである。
自然との出会いは幾重もの歓びをもたらし、深い体験を起こしてくれる。感動のさまざまが、密度の高い遊び(活動)になっていく。感動密度の高い場所は、多種多様な生命の線や塊が蠢き、遊びを素晴らしく発酵させてくれるからだ。こどもは新鮮な水や空気や土壌を循環させるように活発かつ豊潤に「好奇心菌」や「夢中菌」を沸々させていく。生きる歓びを意欲に代えて。