『素晴らしき子どもたちを素晴らしいままに』
園長: すぎもと かずひさ
新たな一年の始まりを祝う桜満開の春である。
初心に還る。
保育士になりたてのわたしが最も影響を受けたひとりに小林 一という先生がおられた。
氏は、平成2年の保育所保育指針の改定に尽力された方であり、当時、京都府保育協会の研修部長をされていた関係で、わたしは幾度となく先生の話を聴く機会に恵まれた。
講義には必ずといっていいほど天才バカボンのパパが登場し、その声色をまねながらこうおっしゃった。
「子どもが泣いている。これでいいのだ~。」
「子どもがわがままをいう。これでいいのだ~。」
「子どもがいうことを聞かない。これでいいのだ~。」と。
新米保育士が子どもとの関係において困り果てるのは、眼前の子どもが自分の予想を超えて思い通りにならないときである。
ご飯を食べるときは食べて欲しいし、服やパンツを着用するときは着たり穿いたりして欲しいのである。
ところが、自我が育つにつれ子どもは自分の意思を存分に発揮する。
こちらが願えば願うほど、裏腹な行動をしでかすこともある。
このような子どもとの対立葛藤は、保育士にとって時にしんどくイライラの原因になり、さらに専門職でありながら子どもをコントロールできない自分のふがいなさを募らせ自信を失う原因にさえなることもある。
それらのすべてを了解・察知しておっしゃった先生の「これでいいのだ~」は、
「あなたのこだわりから自身を解き放ち、少し離れ、力を抜いて、いのち通い合わせている現実とその有り難さをご覧なさい。」
と語りかけられているようであり、若い保育士への救いの言葉であった。
同時に、「子どもの理解、対人援助」の具体的態度について、また、「子ども主体・児童中心」の保育の糸口をも示唆されていた。
善悪の判断や個々の価値観を問う前に、ありのままの子どもを受け容れることは、子どもの人権を尊重した応答的で対話的な保育の第一歩である、と。
今、かけがえのない一人一人の子どもと共にいる。
保護者のみなさんや地域・関係者の方々と手を携え合って「子どもを真ん中に、これからのわたしたち」をつくる。
平和な社会のプレ体験の場としての保育園の理想を思う。
素晴らしき子どもたちにふさわしい原体験、原風景を思う。
どの子にも、どんなときにも味方になり、認め、受け容れる良き理解者であり、母性の基地でありたい。
「これでいいのだ~」。鼻毛ふわりと笑うバカボンのパパ。