『 さんちゃんタイムは愛の賛歌 』のお話

『 さんちゃんタイムは愛の賛歌 のお話

理事長 すぎもと かずひさ

3歳以上の幼児クラスになると、毎朝夕、「さんちゃんタイム」という名のお集まりがある。そこは、みんなのきの子どもたちの「遊脈が言葉になって混交する場所」。

Aちゃんは、何をしたいと思っているのか。

Bちゃんは、何を不思議がっているのか。

Cちゃんは、誰の考えを受け取り、ひらめいたのか。

Dちゃんは、昨日の遊びのつづきをどんなふうにしたいのか。

Eちゃんが、何度も挑戦したけれど、実現しなかった願いは何か。

一人一人の子どもの遊びは、その子のこころの内とみんなの場に、小さな酵母を残す。その酵母が、どこで、誰と、どの素材と出会って発酵していくのか。保育者もワクワクである。すぐに膨らむこともあれば、しばらく眠り、別の日、別の場所でわきだすこともある。視線、声、身体、素材、配置、壊れ方、残された姿跡を通して場へと放たれ、ほかの子どもたちの眼に留まったり、触れられたり、気づかれぬまま幾日も過ごしたりすることもしばしばである。

同じ遊びとしてそのまま複製されることはない。一人一人の記憶、身体感覚、願い、距離の取り方と混ざり合い、人数分の異なる感受と感出として、ひびき醸されていく味わいがある。一人の遊びがクラスの人数分にひびき直されるとき、そこには、全員で同じことをするだけでは生まれない、多種多層の体験が立ち上がる。

一人一人が異なる仕方で行為し、現象し、世界をともに立ち上げていく「モノ・ヒト・コト」たちのファンファーレだ。「ぼくが」「わたしが」が「わたしたち」へとひらかれ、互いの生成可能性に参加するということである。

ホワイトボードがたたずんでいる。子どもから新しくわきだした願い、誰かの言葉に別の子が感応した流れ、自由な遊びが野菜の栽培や梅干しづくり、案山子づくりなどの生活カリキュラムと混ざり始めた発想。さんちゃんタイムで繰り出された遊脈が交差し、分岐し、まだ実現していない可能性や、終わりのない保育の途中が可視化され、一時保存されている。

さらには、そのときは誰にも受け取られなかった言葉や、途中で消えた提案、実現しなかった願い、保育者が拾い切れなかった発言などが、後日、別の形で戻ってくるかもしれない種として、出会いと発酵を待っている。まだ届かない願いにも、「ここにいてもいいよ」と呼びかける居場所がある。

あまりにも暑かったあの日。そのジリジリ感に、思わず二つのおひさまを描いたあの子。そんな子どもの感動エピソードから生まれた、みんなのきのロゴの三つの太陽。「情・動・知」の三つの太陽は、「家・園・地域」のどこでもはつらつと仲良く歌っている。もちろん、愛の賛歌。さんちゃんタイムの陽光が輝く、愛の詩にほかならない。

目次