『 わたしたちの暮らし 』の話
理事長 すぎもと かずひさ
ここはホール。ちょっと広めの遊戯室。運動遊具で組まれた段差や斜面に、ネットが「おいで、おいで~」と呼んでいる。くぐる。這う。ずんずん進む。全身がネットに擦れる。筋力と推進力のコラボレーションが、ざわざわと子どもの気分を盛り上げる。最高、ワッハッハだ。ストッキング・ゲームさながらに、顔も髪も面皮も、頭皮ごと後ろに持っていかれる。摩擦生まれの変顔の、なんて素敵な笑顔だろう。手ざわり、肌ざわり、こころざわりが広がって、まわりの仲間も笑っている。一緒感の波紋。皮膚感覚が、面白感覚へと生きてつながる遊びの力。子どもの元気が、能動性が、環境たちとひびき、まざりあい、「共の主体性」となって、そこかしこにわきだしている。
少し離れた場所では、「あ~、気持ちいい~」と、等身大のかまぼこ型クッションに、手やほっぺを擦り擦りしながら、全身を預け切って寝そべっている子どもがいる。「抱き枕かーい!!」といわんばかりの半円状の曲面。そのちょうどいい弾力と大きさに、全身のうつ伏せと抱っこを誘われちゃったのかも。脱力する心地よさはたまんないよね。気力体力の余白に、わたしやわたしたちを生かしてくれている世界が満ちてきて、なんともしあわせ気分に包まれてくるあの感覚。休憩もまた最高な、人と木の関係、ひととき、人間と空間と時間との関係である。
子どもたちは、ただ遊具で遊んでいるように見えて自分を支えてくれる世界の手ざわりを、全身で確かめている。子どもと保育者がともにひらくしあわせな場には、人間と空間と時間の心地よさ共生関係がある。こうした保育環境は、子どもの姿に感応しながら生まれている。子どもたちの過去の体験をいまに紡ぎ、眼前の姿と、明日のしあわせへの願いを重ねていく。それは、保育者たちの行動、空間づくり、時間の重ね方がひとつになった「暮らしの言葉」として、共に生きる場に現れている。
手間暇をかけて大切に育てることを、手塩にかけるという。その日々の愛しさは子どもの心身に浸透し、やがて一人一人の子どもさながらの環境へのかかわりを通して、自身にかけられた愛情を、その子どもならではの手塩の効いた味わい豊かな関係へと発酵させ、還元していく。
童心ごと土を握り、色に染まってゆく子どもたち。今にもこわれそうな凸凹の泥団子に、つるつるにまん丸に光り輝く泥団子のかたちを映し込んでいるかのような、3歳児さんの満足そうな笑顔。わずかな色の変化に眼を見開き、大きな口を開けて歓声を上げる5歳児さんの感動はどこからわいてくるのだろう。人間を超えた環境世界たちと暮らし、共生成する保育の日常には、多様な感覚を統合せずには味わいえない、子ども=人間の体験の蓄積があった。深くて豊かな願いや愛情に満ちた時間があった。「わたしたちの暮らし」である。