『 子どもの純情をいつまでも 』のお話
理事長 すぎもと かずひさ
今年も「子どもの純情」に感動し続けた一年でした。ふとしたことから興味や関心等の心情を持ち、喜びを感じるところから意欲を芽吹かせ、繰り返し楽しんで行動するうちにやがて態度として身に付けてゆく子ども達。一人一人の子どものそばにいて、一つ一つの出来事やそのプロセスを共にゆく有難くも尊い営み。何気ない日用品や植物、小動物等々の身近な回りのものやことに興味・関心を向けては指をさし、近づき、関わってゆく純情。ものを掴んだり、舐めたり、転がしたり等、関わるほどにさまざまな現象を楽しみ、面白がってゆく純情。そんな心持ちを友達の数だけ集めて、みんながそれぞれに、ときには一緒に楽しんできた一年でした。
そんな君たちの一挙一動が大好きでした。だから、君たちが今見ているもの、触れているものは何かな、何が面白いのかな、どうして面白いんだろうと興味津々見守ってきたのです。子どもの頃に戻ったように自分の子どもごころと君たちの純情とを重ねては、「こんなことも面白いかも、こんなふうにしたらどんなふうに関わり新たな世界をつくってくれるかなぁ」等と、イメージを膨らませ、存分に遊んでいる君の姿を思い浮かべながら保育環境を作り、仕込んできたのでした。そして、いつも期待以上の表情や表現を見せてくれたのでしたね。
現実社会では、事故、事件、災害、病気等々の悲しい出来事が後を絶ちません。胸が張り裂けそうな耐え難い出来事も突然やってきます。そのような中で保護者のみなさんの御一方御一方が今日まで歩んでこられた日々はどれほど価値のあることでしょう。子どもが元気に走り回る姿を見るにつけ、黙々と夢中になって遊ぶ様子を見るにつけ、この子ども達の活動の背景にある保護者のみなさんの簡単ではない日常の頑張りやご苦労を思う毎日でした。ときに過酷な人生において子どもの笑顔の何と希望に満ちていることでしょう。誰もがよこしまな気持ちなどこれっぽっちも持たない時代がありました。誰もが友達を思い人間を愛する時代がありました。誰もがお金の価値等知らないにもかかわらず幸せを謳歌する時代がありました。その根本に「子どもの純情」があります。先日の「童心の集い」ではまさにその本質に触れ赤ちゃんの頃からの彼らの歩みに共に胸を熱くしましたね。夢を耕し、生きがいを育んでいく子ども達に、そして保護者のみなさんに心からの感謝と祝福を捧げます。